おそらく、すべての書の中でもっとも偉大な物語のひとつが放蕩息子の話でしょう。
二人の息子のうち、弟は退屈な生活に飽き飽きしてしまい、遠い世界に憧れて、冒険と興奮を求めるようになりました。彼は、財産の分け前を受け取ると、外の世界に出てゆき、毎日を遊興の中に暮らしました。彼がどのくらい、そんな生活を続けたのかは分かりませんが、結局、豚の世話をして生活するほどに落ちぶれてしましました。これはユダヤ人の男性にとっては、最下層の仕事だったのです。
状況はひどくなり、豚の餌を食べて生きるほどになりました。そして、ある日、彼はこう考えました。聖書では、彼が我に返ったと書かれているところです。この時まで、彼は自分ではなくなっていたのです。しかし、彼は今、自分を取り戻しました。
これが、悔い改めというものです。この若者は、世の中のあらゆる楽しみと快楽を探し求めてきましたが、どれも、心を満たしてはくれませんでした。ここにあるのは、楽しみを探しているのに、満たされない人たちの苦悩です。
我に返ったとき彼は、自分がどこから来たのかを思い出しました。
私は、放浪する羊で、群れを愛していなかった。
羊飼いの声を愛さず、従うことを拒んできた。
わがままな子供で、家を愛していなかった。
私は父の声を愛さず、遠く離れてさまようことを愛した。
ホレイシャス・ボナー(1808~1889)
愛する神よ、私は放蕩していた日々、真実を探していた日々を、よく覚えています。自分を取り戻して、み父の家に戻ることができたのは、あなたのおかげです。イエス様の御名をほめ讃えます。アーメン。
My Daily Pursuit, Devotions for Every Day
A.W. Tozer
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