2025年5月6日火曜日

祈りのハイド(2/5)、フランシス・A・マッゴー著

祈りのハイド
PRAYING HYDE

フランシス・A・マッゴー著
FRANCIS A. McGAW
瀬尾要造訳
いのちのことば社

9.一九〇五年の聖会――「罪のための嘆き」

パンジャブ祈禱同盟は、毎年春に年会をもちました。しかし、この集会の準備として、指導者たちは多くの時を、祈りと断食と徹夜の見張りに費やしました。そして、同盟の人々が集まると、次の年のために神の指導を仰ぐのです。ひとりの兄弟はこうしるしています。「一九〇五年早々の年会において、神は私たちの心に、罪に沈みゆく世のための重荷を負わせられました。私たちはある程度まで、キリストのご苦難を分担することを許されました。それは、一九〇五年の秋に開かれる聖会のための栄光ある準備でした。」

この聖会において、ジョン・ハイドは昼も夜も祈禱室に閉じこもっていました。そこは彼にとって、変貌の山そのものでした。みことばは神の託宣として彼のうちに燃えました。「エルサレムよ。わたしはあなたの城壁の上に見張り人を置いた。昼の間も、夜の間も、彼らは決して黙っていてはならない。主に覚えられている者たちよ。黙りこんではならない。主がエルサレムを堅く立て、この地でエルサレムを栄誉とされるまで、黙っていてはならない」(イザヤ
六二・六、七)。

彼が神の力によって支えられたことは疑う余地がありません。それは、「神の力によって苦しみを耐え忍びなさい」―私たちの弱さにおいてではなく、神の力において―――と言われているからです。天の父がそのしもべにお与えになったのは、眠りの量ではなく質で、祈りのために長く目覚めていられるための、子供のような心地よい眠りでした。だれでも彼の顔を見れば、彼の弱いからだを強めたのは、キリストご自身の臨在であることがわかりました。ジョン・ハイドは第一級の説教者でしたが、彼の力の出所は、神との交わりにありました。

彼の祈りの生活は、神への絶対的な服従の一つの表れでした。こんな出来事を覚えています。私たちが共に祈禱室にいるとき、昼食のベルが鳴りました。私は彼が、「父よ、行ってもよろしいでしょうか」とささやくのを聞きました。しばらくして、答えがあったのでしょう、「感謝します、父よ」と言って、彼はほほえみながら立ち上がり、昼食をとりに行きました。言うまでもなく、彼は主が食卓に共に座しておられることを覚えました。そして、ああ、何と多くの飢えたたましいが彼の話によって元気づけられたことでしょう。

彼は朝の聖書研究の指導者でした。彼はヨハネの福音書一五章二六、二七節の「その御霊がわたしについてあかしします。あなたがたもあかしするのです」を主題として取り上げました。「牧師のみなさん、聖霊はみなさんの講壇においてあがめられているでしょうか。説教のとき、みなさんは意識的に聖霊を前にお立たせし、みなさんはそのうしろにおられるでしょうか。教師のみなさん、みなさんがむずかしい質問を受けるとき、キリストの全生涯をあかしするお方である聖霊の助けを求めておられるでしょうか。ただおひとり、聖霊はキリストの受肉、奇蹟、および死と復活の証人であられました。そうです、聖霊こそ、唯一の証人であられるのです!」

それは心を探るメッセージでした。多くの会衆は、罪を認めさせる力の前に頭を垂れました。翌朝、彼はそれ以上の教えをすることを許されませんでした。司会者は会衆の前に立ち、この集会は神の御霊の導きにゆだねるべきであると述べました。聖霊は何と驚くほどキリストを、また悔い改めるすべての者をきよめるその御力をあかしされたことでしょう。

翌朝、もう一度、神のしもべは、神からの新しいメッセージはないと言いました。私たちがどんな時にも聖霊を第一に置くという学課を学ぶまで、神は新しいメッセージをお与えにならないと言うことにより、神は侮られるような方ではないことが指摘されました。だれがその日を忘れることができるでしょうか。何と驚くほど、これらの祈りは答えられたことでしょう!神の見張り人たちはその夜、祈禱室で言いようのない喜びに満たされ、勝利の歓声と共に、朝を迎えました。「私たちを愛してくださった方によって圧倒的な勝利者となる」とあるとおりです。

ある時ジョン・ハイドは、何かをするようにとの御声を聞き、行ってそのとおりにしましたが、どうしたことか、泣きながら祈禱室に戻って来ました。彼はふしょうぶしょう神に従ったことを告白し、「兄弟たちよ、私がこのことを喜んですることができるよう祈ってください」と言ったのです。私たちは彼が出て行ったあとすぐに、彼が意気揚々として従って行ったことを知りました。

こうして彼は、多くの子供たちの(霊の)父となるとの約束を受けました――ちょうどアプラハムのように。彼は大きな喜びをもって集会所に入って来ました。そして聴衆の前に立ったとき、導かれるままに、ウルドゥー語で三語、そして英語で三語、それぞれ三度繰り返して言いました。

「アイ、アスマニ、バク。」

「オー、ヘブンリー、ファーザー(おお、天の父よ)。」

続いて起こった出来事をどう言い表したらいいでしょうか。それは集会に、まるで大波が押し寄せて来るような、また「突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った」ような出来事でした。激しいあらしに出会った木々のように、人々の心は神の臨在の前に屈服させられました。それは、ひとりの人物の服従を通して注ぎ出された神の愛の大海であったのです。多くの人々は、その前に砕かれました。そこには、涙と共に罪の告白がありました。しかし、それはまもなく喜びと変わり、そして歓喜の叫びとなりました。まさに私たちは新しいぶどう酒天からの新しいぶどう酒に満たされたのでした!

ある宣教師は、その経験をこう語っています。

「神のほか、見る者も聞く者もいない所で、ただひとり神と共に数時間を過ごすのは通常のことでしたが、祈りや賛美のうちに数時間も他の人々と交わることは現実となりうるのでしょうか。

その部屋に入ると、すべては明らかになりました。すぐに、唯一のおごそかな現実である神の臨在の前に自分がいることを知ったのです。一斉の祈りと賛美がなされる間、このような交わりから得る力と勢いと共感を知る以外、その部屋に他人がいることなど忘れられているのです。神が私たちを探り、また語ってくださるよう共に待ち望み、他の人のために共にとりなしの祈りをささげ、また、共に神を賛美し、たえなるみわざをなされる御力をあがめ、他の人と交わりつつ神を待ち望むのは貴重な経験でした。

この十日間、私はこの地上に存在しているとは思えないような、おおらかさと自由とを覚えました。それはまさに、キリストが私たちを釈放されるような自由のゆえでした。ひとりひとりが、導きと信じるままの行動をしました。ある者は早くから床につき、ある者は数時間祈り、ある者は夜通し祈り、ある者は集会に行き、ある者は祈禱室、あるいは自分の部屋へ行きました。ある者は祈り、ある者は賛美し、ある者は祈ろうとして座し、ある者はひざまずき、ある者は神の御前にうつぶせになりました。そこには批評もなく、なされたことや言われたことに対する裁きもありませんでした。それぞれが、すべての表面的なことが除かれ、神の恐るべき御前にあることを覚えました。」

この婦人宣教師は、手紙にジョン・ハイドのことを次のようにしるしました。

「そこには、『見張り人』として神に選ばれ、任命されたことを自覚する人々がいました。その人たちは長い間、主と非常に近く生活してこられたため、すべてのことについて、覚めて祈る時や眠る時に至るまで、神の御声を聞き、神ご自身から直接指導を受けていたのです。ある人たちは、数日の間、徹夜しました。それは、そうするように神が語られたからです。御国に関することのため、神と共に目覚めているという特権と栄誉とを与えるため、神は彼らを眠らせたまわなかったのです。」


10.一九〇六年――御座の小羊

この年の聖会において、神は再び祈りに答えて私たちに御霊を注ぎ、失われたたましいのための重荷をお与えになりました。私たちは以前と同様に、世の人々の罪のための「嘆き」を味わいましたが、だれよりも痛切にこのことを感じたのはジョン・ハイドでした。神は、彼の祈りの生活を深めておられました。彼は主の杯を飲み、主のバプテスマ、すなわち、今ここで主と共に治め、人々のために真の王のいのちを得るために、主の苦難にあずかる第二の火のバプテスマを受ける特権を神から受けたのです。

このころ、ジョン・ハイドは、御座の小羊としての、栄光のキリストの幻を見るようになりました。それは、神のみことばのうちにしばしば啓示されているような御姿――地上の悩める主のからだのために、また、そのからだと共に、大きな無限の苦しみをなめておられるキリストの御姿でした。

神が定めたかしらとして、キリストはからだ全体の神経中枢であられ、今も事実、私たちのためにとりなし続けておられるのです。世の人々のための祈りは、いわば、天におられる主のいのちの息そのものとも言えるでしょう。「キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられる」(ヘブル七・二五)。このことはジョン・ハイドにとって、いよいよ真実なものとなりつつありました。彼はいくたび、祈禱室で、世の罪、ことに神の子供たちの罪のために涙を流したことでしょう。しかし、彼の涙は、あの最後の夜、弟子たちに親しく語られたときに繰り返された主のお約束によって賛美の叫びと変わったのです。「あなたがたは悲しむが、しかし、あなたがたの悲しみは喜びに変わります・・・・」(ヨハネ一六・二〇~二二)。

ある兄弟は、一九〇六年の聖会のことを次のように書いています。

「神に感謝します。神は私たちの祈りを聞き、多くの神の子供たちに恵みととりなしの霊を注がれました。一例をあげるなら、私はパンジャブの一兄弟が胸も張り裂けんばかりに身もだえし、すすり泣くのを見たので、近寄って彼を抱き、『イエス・キリストの血はすべての罪から私たちをきよめます」と言いました。彼の顔はほほえみに輝き、『感謝します。けれども、ああ、何という恐ろしい幻でしょう!このインドにいる無数のたましいが罪の濁流に流されて行くのです!彼らは今、地獄にいます。ああ、手遅れにならないうちに、彼らを火から取り出さなければ!』と叫びました。」

ジョン・ハイドの持っていた、たましいに対する苦悩が、彼が導いた一少女にどのように反映したか、もう一つの実例をあげましょう。

インドのクリスチャンの少女がこの聖会に出席していました。彼女の父は、彼女がキリストに従うことをやめるよう強制しました。祈禱室で、彼女は自分の罪を認め、どのように彼女の心が父から引き離されて、キリストを愛するようになったかを語りました。力あるキリストの愛が彼女の上に臨んだとき、彼女の心がキリストにしっかりと結びつくのが見えるほどでした。それは、恐るべき時でした。続いて彼女は、私たちにその父のための祈りを求めました。私たちが祈り始めたとき、突然、そのたましいへの大きな重荷が与えられたので、その部屋は、ほとんどの人たちが見たことも聞いたこともない人のための涙と叫びで満たされました。頑健な者たちも、そのたましいのためにうめきながら地面に横たわりました。渇いた目をしている人は、その場にはひとりもいませんでした。そしてついに、神は祈りを聞かれた、という確信が与えられ、私たちはゲッセマネを出て、祈りを聞いてくださった神を賛美するペンテコステ的喜びに入ったのです。

この兄弟は書いています。

「あの集会は、決して忘れることはないでしょう。それは夜通し続きました。それは、私がそれまで覚えたことのない神の力が感じられる集会でした。」

さらにこう続けています。

「神は、進んでこれら無数の神なきたましいに対する重荷を負って、イエスと共にゲツセマネに行く人々を求めておられます。神は私たちに、このことをさせようと願っておられます。私たちがキリストの苦難にいくらかでもあずかることができると感じることは、幸いな経験です。それは私たちを神の御子との貴重な親しい交わりに導き入れます。そればかりか、それは迷える羊を囲いに連れ戻すために神が定められた道です。『だれを遣わそう。だれが、われわれのために行くだろう』と神は言われます。これらのことばを読んでいるあなたがたは、進んでとりなし手となられますか。もし私たちが進んで神の御手に自らをゆだねるなら、神は喜んで私たちをお用いになります。

しかし、それには二つの条件があります。すなわち、従順と純潔です。あらゆることにおいて、最も小さなことにおいてさえ、私たちの意志をささげ、神の意志を選び取って従うのです。次は純潔です。神はご自身の働きのために、きよい器、神の恵みが流れ出るための汚れのない通路を求められます。神は私たちのたましいの奥底まできよくあることを求められます。神は、聖霊の火によってきよめられた器でなければ、その器をお用いになれないのです。神は今、あなたのいのちそのものを神にきよめていただくようささげることを求めておられます。神は用いることのできる器を必要とされるのです!」


11.一九〇七年――聖なる笑い

一九〇七年の夏、ジョンは休暇を得て、山地にある友人の家に行きました。この友人はこのことについて次のように書いています。

「ハイドが私たちと共にいるよう導かれた不思議な方法こそ、私たち個人個人に向かう、この上ない神の愛のみわざでした。私もまたそこで、英国のある軍隊の中で仕事をしなければならなかったのです。ハイドと私は共に栄えある時を過ごしました。そこではたびたび、祈りにおいて大きな戦いの時があり、ときどき私は、ハイドが完全にまいってしまうかと思いました。しかし、夜を徹しての祈りと賛美ののち、朝になると、彼はすがすがしい、にこやかな顔をしているのでした。

神がこのような苦闘の時を持たせられるとき、私たちは驚くべき学課を学んでいたのです。それは、『神の力によって、福音のために私と苦しみをともにしてください』という、テモテへの手紙第二、一章八節の命令です。ですから私たちは、私たちのいっさいの必要のために引き出すことのできる神の力を持っているのです。ハイドはこのことを知って以来、数週間というもの、ときどきわずかに眠るだけでしたが、疲労を感じることがほとんどありませんでした。このとりなしの務めにおける非常な努力によってだれも倒れる必要はないのです。

もう一つの力の秘密は、『主を喜ぶことは、あなたがたの力である』とあるとおりです。低い身分に生まれついた、ある貧しいパンジャブの兄弟は、どのようにして祈りの時を地上における天国とすることができるか、また、どのようにして祈りの喜びが、それがたとえ戦いであっても、ある種の労役となってしまうことのないようにするかを私たちすべての者に教える神の器でした。なんとしばしば、彼は恐ろしく大きな声をあげてから、悪の軍勢を打ち破り、御父の御前にかけ上るように見えたことでしょう!彼の顔には神のほほえみが映し出されていました。そして彼は、祈りの中で大きな声をあげて笑うのです。それは御父のほほえみを見て子供が喜ぶようでした。

神はジョンと私に、その御名はイサク(笑い)の神であることを教えられました。あなたは箴言八章三〇節にある天国の描写に注目したことがありますか。『わたしは毎日喜び・・・・。』これは、ご自身の御子に注がれる御父の愛です。このようなホームにおいて御子が『いつも御前で楽しんだ』と言うのは当然でした。『楽しみ』と『笑い』は、イサクの同義語です。この聖なる笑いは、緊張をゆるめ、祈りにおいて戦う人々に天そのものの爽快さを与えるようでした。

親愛なるジョンがラーディアナに帰る前に語った最後のメッセージをお話ししなければなりません。それは、パウロには特別な啓示として示され、御霊がローマ人にそれを告げるよう迫ったものでした。すなわち、彼にはたえず痛みがあり、肉による同国人のためなら、自分がキリストから引き離されて、のろわれた者となることさえ願いたい、というものです(ローマ九・一~三)。

たしかにこれはパウロの、キリストに対する愛以上のものでした。彼が願ったのは、キリストが私たちのためになられたもの――のろい――でした!想像してごらんなさい、キリストにあるすべての望みを放棄しなければならないことを!想像してごらんなさい、昔の罪の生活に帰って行き、罪が私たちを支配するということを!思うだけでも耐えられません!しかし、このようになることによって、同国人であるユダヤ人を救うことができるとするならば、自ら進んで、キリストから離れてのろわれた者となってもよい――これがパウロの心にあった、神のあわれみでした。

このように短いメッセージを、神はその使者であるジョン・ハイドによってお与えになりました。私たちは何と砕かれたことでしょう!ああ、神の愛は、まさに出席している人々の心のうちに注がれました。これらすべては、私が見ることを許された、ジョン・ハイドの祈りの生活における大きな転機に通じていたのです。」


12.一九〇八年夏

「この年の夏は、私たちが彼を説得して、この避暑地に来てもらいました。彼はここに来ましたが、それは主と共に真実なとりなしの祈りをするためでした。このとりなしは、私たちに、神の国のための強力な影響をもたらしました。だれの目にも、ハイドがたましいのための激しい生みの苦しみをしつつ祈っていることがわかりました。彼は食事をとらないことが多く、私が彼の部屋に行くと、彼は大きな苦悩のうちにあるように横たわっているか、ちょうど内なる火が彼のからだの中で燃えているかのように、室内であちこち歩いているのを見受けました。そして、そこには、私たちの主が「わたしが来たのは、地に火を投げ込むためです。だから、その火が燃えていたらと、どんなに願っていることでしょう。しかし、わたしには受けるバプテスマがあります。それが成し遂げられるまでは、どんなに苦しむことでしょう』と言われたその火が燃えていました。

ジョンは普通の意味における断食をしたのではありませんでした。けれども、しばしば私が食事に来るよう勧めると、私を見てほほえみながら、『おなかはすいていません』と言うのでした。そうです、彼のうちには彼のたましいそのものを食い尽くすはるかに大きい飢えがあって、ただ祈りだけがその飢えを満たすことができたのです。彼は、『ここを離れないで、わたしといっしょに目をさましていなさい』と語られる主の御声を聞いていました。そこで彼は、ご自身と共にゲッセマネに入る特権をお与えになった主と、そこにとどまったのです。

彼の心にいつも真っ先に浮かんだのは、主が今なお多くのたましいのために苦悩しておられるという思いでした。たびたび彼は旧新約聖書を引用して、特に『キリストの苦しみの欠けたところを満たす』特権について語るのでした。彼はまた、主がなされた誓い、すなわち、主の羊が安全に囲いに入れられるまで、主が生みの苦しみを長く続けられることについて語るのでした。『ただ、言っておきます。わたしの父の御国で、あなたがたと新しく飲むその日までは、わたしはもはや、ぶどうの実で造った物を飲むことはありません。』『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。」これらは、キリストの苦しみにあずからせようとして彼の目を開くために、神が用いられたみことばでした。

この間、しばしば黒雲を破って、主が導かれる栄えある生活が輝きいで、多くの生みの苦しみについての秘義が啓示されました。それは、今は御座についておられるものの、かつて地上において私たちのためにそうされたように今も私たちと共に苦しまれる小羊であられる主に、真に従うことでした。ジョン・ハイドは、『キリストがいつも生きていて、私たちのために、とりなしをしておられる』ので、今も私たちの十字架を、その重い端を、主が負ってくださることを知りました。

彼がひと足ひと足導かれて行ったのは、他人のために、祈りと見張りと苦悩の生活に入ることでした。この間、彼はほんのわずかしか、食べたり眠ったりしませんでしたが、ほがらかで快活でした。私の子供たちは、ジョンにとっては大きな喜びでした。子供たちとよく遊んでくれるジョンおじさんは、いつも笑顔で歓迎されました。しかし今は、小さな子供たちでも、遊ぶ時ではないと知っているようでした。子供たちは、その間、彼の前では不思議におとなしくしていました。それは、彼の顔には、別世界と交わっていることを物語る輝きがあったからです。けれども彼には、世捨て人のようなところはありませんでした。事実、人々は以前よりも彼に引きつけられ、心安く彼に祈りを求めました。彼は常に、霊的な事柄について彼らと話し合う余裕があり、とりわけ、人々の試練と失望には、今まで以上に忍耐をもって心を用いたのです。

その羊のための主の切なる御思いにあずかったと思われる見張りと祈禱と断食の日々についての詳細を語ることは控えましょう。私たちは、彼の虚弱なからだが過労のために駄目になることを恐れました。しかし、その間、何と驚くほど彼は支えられたことでしょう!時に彼は無言のうちに、時に私たちの目の前で、滅んでいく無数のたましいのために叫びつつ、その苦悩を表しました。しかし、その苦悩はいつも希望の光で照らされました。神の愛を望み、愛の神を望みとして。」

彼が主と共に探っていると思われた愛の深さと共に、彼のたましいが賛美の歌にあふれ、主の喜びにあずかるとき、その愛の高さ―地上における天国の瞬間――を見ることができました。こうして彼は歌い出すのですが、それはいつも「夜の歌」でした。それらの日々、彼は、世にあって神なく望みのない、彼の教区内にある数千のたましいを忘れるようなことは決してありませんでした。彼は息づまるようにむせび泣きつつ、彼らのために哀願したのです。それは彼がたましいの奥底まで動かされていたことを表していました。「父よ、これらのたましいを与えたまえ。でなければ私を取りたまえ」とは、彼の祈りの重荷でした。さび衰えるよりはむしろ燃え尽きるようにとの彼の祈りはすでに答えられつつありました。

ここに、パターソンの筆による珠玉のことばを紹介しましょう。

「ジョン・ハイドの祈りの生活の秘訣は何であったか」と彼は言います。ほかでもない、それは祈りのいのちでした。すべてのいのちの根源はだれでしょう。栄光のキリストです。では、どのようにしてこのいのちを彼から受けるのでしょう。それは、最初に彼の義を受けるその時です。自分が自らの義を持たず、あるのはただ汚れた衣だけであることを認め、信仰によってキリストの義を要求するのです。ここに、二重の結果がともないます。一つは、天におられる私たちの御父についてのものです。彼は私の不義ではなく、キリストの義をご覧になります。第二の結果は私たち自身についてのものです。キリストの義は単に外から私たちをおおうだけでなく、その御霊により、私たちの存在そのものに臨みます。それは弟子たちの場合と同様(ヨハネ二〇・二二参照)、信仰によって受けるものであり、その結果、私たちのうちに聖化がなされるのです。

私たちの祈りのいのちも同様ではないでしょうか。「・・・・のために」ということばに目を向けましょう。「キリストは私たちのために死なれ」、また「キリストはいつも生きていて、私たちのために、とりなしをしておられる」。すなわち、それは私たちに「代わって」です。そこで私は、自分自身のとだえがちな祈り(祈りの生活とは言えない)を告白し、主の決してやむことのないとりなしに嘆願します。こうして御父は、私たちのうちにキリストの祈りのいのちをご覧になり、したがって、祈りに答えてくださるのです。そのため、その答えは「私たちの願うところ、思うところのすべてを越え」たものなのです。

また、もう一つの大きな結果があります。それは私たちに臨みます。キリストの祈りのいのちは私たちのうちに臨み、キリストは私たちのうちで祈られます。これは、聖霊による祈りです。このようにしてのみ、私たちはたえず祈ることができるのです。これこそ、主が与えてくださる、豊かな、あふれるいのちです。ああ、何という平安、何という慰めでしょう!もはや、努力して祈りの生活をし、失敗し続けることはありません。イエスが舟に乗られるなら、労苦はやみます。こうして、私たちは望んでいる地に着くのです。

私たちは、主の御声を聞き、主に私たちのうちで祈っていただくために、そうです、私たちのたましいにその満ちあふれるとりなしのいのちを注いでいただくために、主の前に静まる必要があります。この「とりなし」ということばの文字どおりの意味は、神と顔と顔を合わせて会う、つまり、真の結合と交わりということなのです。


13.一九〇八年の聖会――一日にひとり

ジョン・ハイドが神と明確な契約を結んだのはこのころでした。それは、一日にひとりのたましい――単なる求道者ではなく救われたたましい。公にキリストを告白し、御名によってバプテスマを受ける用意のあるたましい――を、というものです。そのとき、圧迫と緊張は取り去られ、彼の心はあふれる確信から来る平安で満たされました。彼と語り合う人はみな、彼が新しいいのちを持ち、またこの世では決して終わることのない、生涯をかけた仕事を持っていることに気づきました。

この確信を持って教区に帰った彼は、失望することはありませんでした。それは、長い旅路と、夜を徹した祈りと断食、また痛みと戦いを意味しましたが、結果は常に勝利でした。夜は露にぬれ、昼は渇きに疲れ果てようと、それが何でしょう。主の羊は囲いに集められ、良い羊飼いは彼のたましいの苦しみをご覧になり、満足しておられるようでした。その年の終わりまでに四百人以上の人々が主の囲いに入れられたのです。

彼はこれで満足したでしょうか。いいえ、決して。主が満足しておられないのに、どうして満足することができたでしょう。ただの一匹の羊でも囲いの外にいるかぎり、どうして主は満足されるでしょう。しかし、ジョン・ハイドは神の力の秘訣、すなわち「主を喜ぶ」ということを学びつつありました。それは、結局のところ、より多く喜ぶことができれば、より多く悲しむことができるからです。「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたの喜びが満たされるためです」と言われたお方は、悲しみの人でもあられたのです。

ジョン・ハイドは常に、「わたしには、ほかの羊がある――わたしには、ほかの羊がある」と言われる良い羊飼いの声を聞いているようでした。彼は、一日にひとり、またはふたり、あるいは四人のたましいを獲得しても、失われたたましいに対する満たされない渇望と不滅の情熱を持っていました。インドにいる彼の友人のひとりが彼のことを次のように描写しています。「個人伝道者として、彼はひとりの人を、救いについての話に引き入れます。やがて、彼は相手の目を真剣に見つめながら、肩に手を置きます。そして、その人がひざまずいて罪を告白し、救いを求めるよう導きます。彼は村の道端でもどこででも、そのような人にバプテスマを授けるのです。」

私はかつて、クリスチャンのためのある聖会に出席しました。ハイドは、回心者が入ってくると、東洋風にまず片方の手を一方の肩に、次にもう一方の手を他方の肩に置いて、抱擁するのでした。彼の抱擁はいかにも愛に満ちたものでしたから、ほとんどのクリスチャンはその感化を受け、相手がどのように低い階級の信者であっても同じような歓待をするようになりました。

これこそ彼の強味でした。愛によって彼は勝利を得たのです。


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