2025年5月9日金曜日

祈りのハイド(5/5)、フランシス・A・マッゴー著

祈りのハイド
PRAYING HYDE

フランシス・A・マッゴー著
FRANCIS A. McGAW
瀬尾要造訳
いのちのことば社

21.詩篇二二篇

私は、ジョンの姉妹メリーにあてた手紙の中に、この驚くべきメシヤ詩篇について以下のような注釈が残されていたことを神に感謝するものです。彼は聖句をしるさず、箇所のみをしるしているので、私が聖句を書き加えました。少々配列を変えましたが、注釈は親愛なるジョン自身のものです。

詩篇二二篇
一、二節――「わが神、わが神。どうして、私をお見捨てになったのですか。遠く離れて私をお救いにならないのですか。私のうめきのことばにも。わが神。昼、私は呼びます。しかし、あなたはお答えになりません。夜も、私は黙っていられません。」

ダビデはここで、ある深刻な、恐ろしい試みに会って祈っています。これは苦悩の祈りです。ダビデにキリストの祈りを啓示したほど、生々しい、恐ろしい経験です。イエスは十字架上の激しい苦悩と悲しみのうちに、この第一節のことばを口に出されました。神は、「しばらくの間、わたしの顔を隠したが、とこしえのいつくしみをもってあなたをあわれむ」とのみことばをもって答えられたようでした。これらの節のうちに、失われた者の苦しみと、救われた者の勝利とが示されています。ダビデのうちにいますキリストの霊は、キリストの苦難とそれに続く栄光とを明らかにしました。

この一節にある祈りは、地獄の苦しみの声ですが、その心に天の賛美を持たれるお方の叫びなのです。

三~五節―「けれども、あなたは聖であられ、イスラエルの賛美を住まいとしておられます。私たちの先祖は、あなたに信頼しました。彼らは信頼し、あなたは彼らを助け出されました。彼らはあなたに叫び、彼らは助け出されました。彼らはあなたに信頼し、彼らは恥を見ませんでした。」

この人はユダヤ人であり、「私たちの先祖」と言われました。

六~八節─「しかし、私は虫けらです。人間ではありません。人のそしり、民のさげすみです。私を見る者はみな、私をあざけります。彼らは口をとがらせ、頭を振ります。『主に身を任せよ。彼が助け出したらよい。彼に救い出させよ。彼のお気に入りなのだから。』」

ここで彼は、罪人の立場をとり、カルバリの十字架上でご自身にふりかかるすべてを耐え忍ばれます。罪人の立場をとり、そしりを受けられる。ご自身には罪がないのに。

九~一一節——「しかし、あなたは私を母の胎から取り出した方。母の乳房に拠り頼ませた方。生まれる前から、私はあなたに、ゆだねられました。母の胎内にいた時から、あなたは私の神です。どうか、遠く離れないでください。苦しみが近づいており、助ける者がいないのです。」

ここには「拠り頼ませた方」とあり、彼は「私の神」と言っておられます。彼は当然、あわれみを叫び求めなくても助けられるべきであり、助けは当然、罪なきキリストのものです。にもかかわらず、彼の最大の苦難の時に「助ける者がいない」とは。

一二~一五節――「数多い雄牛が、私を取り囲み、バシャンの強いものが、私を囲みました。彼らは私に向かって、その口を開きました。引き裂き、ほえたける獅子のように。私は、水のように注ぎ出され、私の骨々はみな、はずれました。私の心は、ろうのようになり、私の内で溶けました。私の力は、土器のかけらのように、かわききり、私の舌は、上あごにくっついています。あなたは私を死のちりの上に置かれます。」

多くの敵と最も残忍な敵に囲まれ、「死のちり」の上に置かれました。今なお助けはなく、神はあたかも彼の敵のようになられました。「しかし、彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった」(イザヤ五三・一〇)。

一六~一八節「犬どもが私を取り巻き、悪者どもの群れが、私を取り巻き、私の手足を引き裂きました。私は、私の骨を、みな数えることができます。彼らは私をながめ、私を見ています。彼らは私の着物を互いに分け合い、私の一つの着物を、くじ引きにします。」

何と十字架を描写していることでしょう!「私は、私の骨を、みな数えることができます。」これは、三年――いいえ、その生涯を、しかし特に、私たち、また私の罪のために悲しまれた三年、祈りと断食と見張り、時には夜通し、ついで夜を日についで、教え、いやし、宣べ伝えられた活動の三年、また、神のものである弟子たちの弱さと罪とを見るたびに、すなわち、罪とその威力、破壊力の恐ろしさを見るたびに深く悲しまれた三年を物語っているではありませんか。

「彼らは私をながめ、私を見ています。」これは何と、人間のたましいが他人の視線に敏感であり、それに畏縮するものであるかを示していることでしょう。また、これは、最も洗練された聖なる者だけが、敵の支配下にあって感じる侮辱が、彼の上に積み重ねられたことを示しています。

それはまた、驚きをも示しています。「多くの者があなたを見て驚いたように、――その顔だちは、そこなわれて人のようではなく、その姿も人の子らとは違っていた」(イザヤ五二・一四)。彼らは驚きました。彼は非常にやつれ、弱っておられました。これらはみな、罪に対する彼の憂いを示しているのです。「わたしに下された苦しみのような苦しみが、またと世にあるだろうか。」「おお、悲しみの人よ!」

一九一二一節―――「主よ。あなたは、遠く離れないでください。私の力よ、急いで私を助けてください。私のたましいを、剣から救い出してください。私のいのちを、犬の手から。私を救ってください。獅子の口から、野牛の角から。あなたは私に答えてくださいます。」

ここで再び、聞かれることのない、助けを求める叫びがなされます。しかし、信仰においては、その祈りは聞かれているのです。「あなたは私に答えてくださいます。」「完了した。」「父よ。わが霊を御手にゆだねます。」

彼は残りの二三~三一節を、「それに続く栄光」が啓示されている、と解説して、このすばらしい注釈を終えています。

これらのことばは、「力と、富と、知恵と、勢いと、誉れと、栄光と、賛美を受けるにふさわしい」(黙示録五・一二)、世のはじめからほふられた小羊の新しい幻を私に示すことにより、驚くべき神の祝福をもたらしたのです。

そして、私はこの注釈以上に、親愛なる兄弟の、その人らしさを表している文書はないと思われました。ジョン・ハイドは無意識のうちに、ジョン・ハイドの肖像をここに描いてくれたのです。


22.勝利

「最後の敵である死も滅ぼされます」(Ⅰコリント一五・二六)。ジョン・ハイドは滅びゆく人々を救おうとして、何度も「危険地帯」に踏み込み、敵に向かっていたので、あの一九一二年二月に起こった最後の恐ろしい対決のときも、少しも驚きませんでした。ジョン・ハイドが英国にいたとき、チャールズ・M・アレクサンダー氏は、知り合いの医者のもとへ彼を連れていき、のちに、別のふたりの医者に診断を求めました。そのとき、医者はハイドに、非常に悪い容態であることを納得させようとしました。アレクサンダー氏は彼らの会話に耳を傾けていました。たしかにハイドは、そのとき自分がまさに瀕死の状態にあることを悟りました。アレクサンダー氏も医者も、ハイドが全く平静でいることに驚嘆しました。彼は、はるか以前から死の恐れを除かれ、彼にとっては、世を去ってキリストと共にいることは、はるかに望ましいことでした。

この小著を終えるにあたり、私のどのようなことばをしるそうとも、適当でないことを知っています。ですから、「ザ・メンズ・レコード・アンド・ミッショナリー・レビュー」(ユナイテッド・プレスビテリアン)の中の、W・B・アンダーソン博士の文章を引用することにします。アンダーソン博士自身は、数年間インドの宣教師であり、また親愛なるジョン・ハイドの親友でした。彼はこうしるしています。

「ハイドは、インドの苦しみに深く関与し、インドの救いのために、その敵と必死の対決をしました。この戦いに敢闘する彼に、神は驚くべき幻を与えられたようです。

約四年前のある日、彼は、インドのためにもたれていた祈禱日に経験したことについて話していました。彼が親しい友人たちに語ったのは次のようなことでした。『祈禱日に神は、私に一つの新しい経験をお与えになりました。私は、このパンジャブにおける戦いを越えて、遠くにいるように思えました。そして、全インド、次に、はるかかなたの中国、日本、アフリカにおける神の大きな戦いを見たのです。私は、いかに私たちが自分の国という狭い範囲や、自分自身の教派のことばかりを考えていたか、また、いかに今、神が兵力に兵力、隊列に隊列を迅速に併合させ、いっさいが一つの大きな戦いとなり始めているかを知りました。それは、私にとって、キリストの偉大な勝利の戦いです。私たちは、この偉大な世界大の戦いに参加しているという意識がなければ、それ以上戦えないのです。私たちは、いつでも、すべての戦場を見ておられる主に全面的に服従するよう、細心の注意を払わなければなりません。人を、そのいのちを最も必要とする場所に置くことのできるお方は主だけです。』

すべての戦いを越えて、ハイドは自らが全面的に従ってきた偉大な司令官を見ることができました。

アメリカで、激しい苦しみののち、彼が天の家に召されたとの通知がインドにいる私たちのもとに届いたとき、私は王の面前に通された彼の勝利の叫びが聞こえるような気がしました。続いてそこには、彼が「ボル、イース・マシー、キ・ヤイ!(叫べ、イエス・キリストの勝利を!)』と言って死んだことが書かれていました。

それを知ったとき、私は、主のまわりに敵が近づいてきた、主のご生涯におけるあの恐ろしい時を考えました。主はその犠牲の死をとげる時が近づいていることを知りました。まさに主の前途には弟子たちの裏切り行為とゲッセマネとカルバリとが控えていました。しかし、主はそのとき言われました。『勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです』と。ついで私は、ハイドが、罪につながれた人々のため、インドで昼夜の別なく祈りにおいて苦闘したこと、そして、長時間の苦しみののち、しばしば、そのまわりの友人たちと立ち上がって、『ボル、イース・マシー、キ・ヤイ』と叫んだこと、そしてこれがパンジャブ教会のときの声となるに至ったことを思い出しました。彼が偉大な勝利者の御前からその絶叫を私たちに送ったなら、それが全世界に鳴り響くよう努めようではありませんか。『叫べ、イエス・キリストの勝利を。』」

主の御名によって、アーメン!


訳者あとがき
一九九〇年一月

わたしが『祈りのハイド』の原書Praying Hydeを手に入れたのはどこであったか記憶にないが、たぶん、東京は柏木にあったホーリネスの聖書学院のキャンパスにあった書店においてであったと思う。

このPraying Hydeを読んで、わたしは心の底からゆり動かされた。それまでに、わたしは、E・M・バウンズの『祈りによる力』(当時は「説教者と祈禱』と題した)や『祈禱の目的』『祈禱の勇者』、また、アンドリュー・マーレーの『キリストとともに』などによって祈りのレッスンを学んでいたが、この「祈りのハイド」に至っては、比類のない祈りの人、また、救霊者である。

最近、マダム・ギュイヨンの伝記を読んでいるが、彼女のことを著者は「別世界の子」と呼んでいる。この「祈りのハイド」はまさしく、別世界の祈りの使徒であり、きよめの受肉した人である。

ところが、ジョン・ハイドは、ミショナリーとしてインドに行く船の中で、友人からの手紙を読んで立腹した「人間的な、余りにも人間的な」ミショナリーであったことを知ることは、祈りの学校に学ぶわたしたちに希望を与える。

わたしは著者マッゴー氏に手紙を書き、その翻訳の許可を求めたところ快諾された(当時、マッゴー氏はポーランドのユダヤ人の間で伝道しておられた)。そして、当時の「きよめの友」誌上に約一年、拙訳が連載された。それから、それらがまとめられ、一九六〇年には、森渓川氏の願いにより、『祈りのハイド』と題して、基督教文書伝道会から発行された。

このたび、いのちのことば社から、『祈ることを教えてください』が発行され、ベスト・セラーになった。この書物の中に、著者は数回、「祈りのハイド」を紹介しているので、読者の注意を引き、出版社に多くの人からハイドについての問い合わせがあったので、いのちのことば社の出版部で『祈りのハイド』の発行を企画され、今回その実現を見るに至った。

長い間、絶版になっていた本書が、今回、装いも新たに、祈禱の学校に学ばれる多くの学徒たちのマニュアルとして発行されることは、訳者として喜びにたえない。本書が広く読まれることにより、日本の教界に、静かであっても持続的なリバイバルが起こるように、とは訳者の心の願いである。教会の覚醒は、個人個人の祈禱生活の改革から始まるからである。

瀬尾要造

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