PRAYING HYDE
フランシス・A・マッゴー著
FRANCIS A. McGAW
瀬尾要造訳
いのちのことば社
14.一九〇九年の聖会―一日にふたり
再びジョン・ハイドは、明確で執拗な求めによって神のみこころをとらえました。今度は、一日にふたりのたましいを、というものでした。この聖会において、神はこれまでよりもいっそう力強く彼をお用いになりました。神はそのしもべジョン・ハイドを通して語られました。息を殺して、すべての学課のうちで最も神聖なもの――彼が、私たちの罪のために打ち砕かれたキリストのみこころに私たちをあずからせたこと――についてお話ししましょう。神はこの啓示を一度に現して私たちを圧倒することはなさいませんでした。それに耐え得る私たちの能力に応じて、静かに、またやさしく啓示されました。ああ、「みこころを深く悲しませる」全世界の邪悪によって引き裂かれた愛のみこころを、主がどのように示されたかを、だれが忘れることができるでしょう。
いよいよ深く、私たちは神の御旨の苦悩にあずかることを許されました。ついには悲しみの預言者エレミヤのように、その目を涙の泉とすることを望まれ、その娘である民が殺されることを夜昼嘆き悲しまれる主の御声を聞きました。この嘆きはゲッセマネ、カルバリで現実となりました!私たちは導かれて、神の御子の恐ろしい苦難、および、御父と永遠の御霊の、さらに恐ろしい苦難を知るようになりました。この御霊によって、キリストはご自身を傷なき者として神にささげられたのです。
私たちは、このような苦難にどのようにしてあずかることができるでしょうか。「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。」だんだん強くなって行く願望に注意しましょう。――強く、より強く、最も強く。こうして、それにふさわしい報いとして、ついにその冠とも言える、御父の御旨が私たちに押し開かれるのです。私たちは、だれにでも、すべての人に、私たちの喜びを語ります。しかし、私たちが悲しみを告げる心の友は、特に許された少数の人々です。それは神の愛についても同様です。イエスの愛しておられたヨハネは、主の御胸に近く席につき、またさらに近く寄り添いました。イエスが、弟子たちのひとりが主を裏切るという、みこころを痛める激しい苦悩を示されたのは、このヨハネに対してでした。
私たちが主の御胸の近くにいればいるほど、いよいよ主の憂いにもあずかるでしょう。私たちはこれらすべてを、ただ信仰によって獲得するのです。私たちに必要なのは、私たちの悲嘆ではなく、神の悲嘆です。私たちが担うのは、私たちの苦難ではなく、キリストの苦難です。夜昼、涙をもって人に勧めるのも、私たちの涙によるのではなく、すべてキリストの涙によるのです。キリストの苦難にあずかるということは、無代価の賜物であり、私たちの感情にかかわりなく、単純な信仰によって受けるものです。
「主よ、罪人に対するあなたの愛の心、彼らの罪に対するあなたの嘆きをお与えください。あなたの涙をもって夜も昼も勧めることができますように。」聖会の終わりに、神の愛する子供のひとりが叫びました。彼は続いて祈りました。「でも、おお主よ、私は冷淡な者です。かたくなで、いのちがありません。不熱心です!」友人は、彼の祈りをさえぎらなければなりませんでした。「兄弟、なぜあなたはあわれな自分を見ているのですか。あなたの心が冷たく、いのちがないのはわかりきったことです。でも、あなたはイエス様の嘆き、愛、罪のための重荷とその涙を求めました。主は偽るお方でしょうか。主はあなたが求めたものをお与えにならなかったことがありますか。なぜ主のみこころから目を離して自分を見るのですか。」
ジョンは、よく次のように言ったものです。「私たちがイエスに近く生きるとき、彼は私たちを通してたましいをご自身に引き寄せられます。しかし、彼は私たちの生活において『上げられ』なければなりません。すなわち、私たちは主と共に十字架につけられなければなりません。私たちと主との間には、さまざまな形をとった『自我』が入り込みます。ですから、自我は主が取り扱われたように扱われなければなりません。自我は十字架につけられ、死に、キリストと共に葬られなければなりません。もし『葬られ』ないなら、古き人の悪臭は、たましいをおびやかすでしょう。もし、古き人についてのこれらの下への三段階が処置されるなら、そのとき新しい人はよみがえらされ、立たされ、座らせられるでしょう。――これは、神が私たちにとることをお許しになった上の三段階です。こうして、真にキリストは私たちの生活において上げられ、確かに主はご自身のもとにたましいを引き寄せられるのです。これらすべては、主の苦難に『あずかる』という密接な結合と交わりの結果なのです。」
15.一九一〇年の聖会――一日に四人
昨年の聖会以来、八百のたましいが導かれましたが、ジョン・ハイドはそれで満足しませんでした。神はその愛をもって彼の心を広げておられました。もう一度、彼は聖なる必死の覚悟をもって神のみこころをとらえました。それが何週間続いたか覚えていませんが、彼はキリストと共に、いよいよ深くゲッセマネの暗がりに入っていきました!今や祈りは、いにしえの多くの預言者たちがしたように、人々の罪を告白し、罪人の立場に自らを置いた祈りとなりました。彼はただひとり、主と共に他の人々の罪を負っていました。「互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うしなさい」(ガラテヤ六・二)。この律法にしたがって、私たちは自らのいのちを兄弟のために捨てるべきです。このことを、ジョン・ハイドはしていました。彼は「日々に死んで」いたのです。
ガラテヤ人への手紙六章二節に言及されている「重荷」とは何だったでしょう。その前節のことばから明らかなように、それは他人の罪を負うことでした。ついに彼は、一日に四人のたましいを得る、との確信を得ました。
さらにこの年は、神が全インドにおいてハイドを用いられた年でした。彼はカルカッタ、ボンベイ、および多くの大都市で開かれたリバイバル集会や諸集会で奉仕をするために招かれました。確かに彼は、一つの永遠にわたる使命のために備えられていたのでした。けれども、この年ほど誤って批判されたり、誤解されたりした年はありませんでした。しかし、それもまた、キリストの痛みにあずかることでした。「この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。」
私たちはこの一九一〇年に、ジョン・ハイドの生涯において、罪の恐ろしさが深まっていくのを見ることが許されました。しかしそれも、ついに救い主のみこころを引き裂いた激しい苦悩のかすかな反映にすぎませんでしたが。この年の聖会前、彼は神に祈るために、幾度となく夜を徹しました。この重荷は彼の心に五年の間積まれていたもので、年ごとにその重圧は増していきました。その重荷は彼のたましいそのものに、どんなに食い入ったことでしょう!は、彼の表情から、彼が祈りつつ備えていた長い不眠の夜々、過労の日々を読み取りました。しかし、彼が非常な熱を込め、力を込めて神ご自身のことばを公衆に語るとき、彼の容貌はほとんど一変させられました。神の栄光で輝かされて変えられたので、多くの人は、彼自身の表情はほとんど認めませんでした。それは、主のメッセージを語る、主の使者の姿でした。そして、私たちが祈りのうちにその重荷のいくらかを分担したときに知ったことは、それはインドにある神の教会、いいえ、全世界にある神の教会に向かって語られた神ご自身の重荷のことばである、ということでした。
私たちは、シナイ山と、金の子牛を拝んでいるイスラエルの罪を見せられました。そのときまで、モーセは神の民のためにとりなしをしませんでした。なぜでしょう。それは、彼がまだ、罪に対する神のみこころの痛みにあずかっていなかったからです。そこで彼は、山の下にいる罪人たちのもとへ遣わされます。罪は彼を神の御前から引き離します。このとき彼は、世のはじめからほふられた小羊の苦難にあずかる者とされようとしていたのではなかったでしょうか。それから彼は、第二の、四十日四十夜の断食に入ります。「主が怒ってあなたがたを根絶やしにしようとされた激しい憤りを私が恐れたからだった。そのときも、主は私の願いを聞き入れられた」(申命九・一九)。モーセはこのことを申命記九章二五節においても述べていますが、聖霊は再度このことを強調されたのです。
確かに、「大きな白い御座」は、その荘厳なきよさにおいて、そのときから、この聖会を貫いて私たちの間に輝き出しました。モーセ、ヨブ、エズラ、ネヘミヤ、イザヤ、エレミヤ、エゼキエル、ダニエルなど、いにしえの多くのとりなし手と同様に、私たちが恥ずかしさととまどいに満たされたことは言うまでもありません。神がモーセに「わたしのするがままにさせよ」と言われたとき、モーセはとりなしの力を表しました。そうです、モーセは「破れに立ち」、そうして神の怒りはとどめられました。彼は神の民のために、自分の名声と家族の栄誉を放棄しました。このようにして、「荒野の教会」は、私たちの「偉大なとりなし手」を予表し、またその御霊を受けたひとりの人によって救われたのです。
他人の罪を告白するということは、ジョン・ハイドの心をとらえました。彼が一つのおごそかな学課を教えられたのはそのころのことでした。それは、他人のために祈るときでさえ、相手の過失を摘発する罪です。彼はかつて、インドのある牧師のための祈りの重荷に押しつぶされそうになりました。そこで彼は、自分の「密室」に退き、その牧師の冷淡さと、その結果としての彼の教会の死んだ状態を思いながら祈り始めました。「ああ、父よ、あなたはどんなに冷たいかをご存じです・・・・。」彼が続いて言おうとしたとき、一本の指が彼のくちびるに当てられたように感じ、それ以上ことばを発することができませんでした。そして彼の耳に、「彼に触れる者は、わたしのひとみに触れる者だ」という声が聞こえました。ハイドは悲しみつつ呼ばわりました。「父よ、お赦しください。私はそのことにおいて、あなたの御前に兄弟を訴える者でした!」と。彼は、神の御前において「すべての愛すべきこと」に心をとめなければならないことを知りました。
さらに彼は、「すべての真実なこと」をも心にとめる必要がありました。彼は、ここで言われている「真実」とは、愛すべきことと真実なことの両方であること、そして神の子供たちの罪はつかの間のものであって、神の子供たちの真の姿ではないことを示されました。私たちは彼らを、キリスト・イエスにある者として、すなわち、神が彼らのうちに始められた良いわざが完成されるときに実現されるであろう「全き」者として見るべきです。「私があなたがたすべてについてこのように考えるのは正しいのです。・・・・私は・・・・あなたがたを、心に覚えているからです。」
そこでジョンは、あの牧師の生涯において、すべての称賛に値すること(「徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい」)を示してくださるよう、父に祈りました。こうして彼は、心から神に感謝することができる多くのことを思い出させられ、その時を賛美に費やすに至りました!これこそ勝利を得る道でした。結果はどうだったでしょう。その後まもなく、彼はあの牧師が、まさに同じ時に大きな復興を経験し、熱烈な説教をしたということを耳にしました。花嫁を備え、彼女に美しい衣を着せるために神が定められたのは、この賛美の道です。ヨハネの黙示録一九章六一八節に見るように、あの栄光ある結末に至らせたものは賛美でした。
私はそのころ、ジョンが、もし一日に四人のたましいが囲いに入れられなければ、夜になると実際に胸が痛むほどの重荷を感じ、そのために食べることも眠ることもできないと言っていたのを覚えています。こうして彼は、祈りのうちに、この祝福を妨げるものは何かを示してくださるよう、主に尋ね求めるのです。彼はそのたびに、自らの生活に賛美が欠けているのを見出すのでした。神のみことばに何度も何度も繰り返されている賛美の命令は、確かにきわめて重要です!彼はそこで自分の罪を告白し、主の血によって赦しの恵みを受けるのです。そして、神のその他の賜物を求めるように賛美の霊を祈り求めるのです。こうして彼は、灰に代えてキリストの冠を、悲しみに代えてキリストの喜びの油を、憂いの心に代えてキリストの賛美の衣(みわざを行う前に神を賛美する、小羊の歌)を与えられ、彼が神を賛美するとき、人々は彼のもとに来て、欠けている数は満たされるのでした。
このころの彼の働きの様子は次のようなものでした。ふたりの伝道師がハイドと共に遠方の村に出かけました。出発前に彼らは、キリストのために十のたましいをとらえる確信を得ました。彼らはその村に到着すると、説教し、賛美しました。しかし、だれひとり関心を示す者もないまま、日が暮れていきます。彼らはのどが渇き、空腹を覚えました。彼らに何かを提供してくれる者はひとりもありません。ふたりは、早く帰って休み、また食事をとろうと性急になりました。しかしジョン・ハイドは動こうとしません。彼は十のたましいを期待していたのです。
とうとう彼らは、民家で一杯の水を求めました。ところが、その家の人は水だけでなくミルクもくれました。彼らはその貧しい家に入り、元気づきました。彼らがその人に語ったとき、意外にも、その人はイエス・キリストのことを実によく知っていることがわかりました。そうです、彼は伝道師たちを主の御名によってもてなしたのです。「ご家族は主に従う人になられないのですか。今、そうしてはいかがですか。」彼は承知し、その妻と子供たちを呼びました。彼らは、自分たちがしようとしていることをよく知ったうえで、家族をあげて主の弟子となる決心をしました。ジョン・ハイドは、なんとねんごろに彼らを神の家族に導き入れたことでしょう。全部で九人がバプテスマを受けました。
しかし、すでに夕闇は濃くなってきました。彼らの行く先には危険な道があります。伝道師たちは急ぎました。その家の主人も急ぐよう勧め始めました。ジョン・ハイドはしぶしぶその家を出ました。ひとりは馬車を呼び、もうひとりはジョンをせき立てます。こうして彼らは馬車にジョンを押し入れようとしましたが、駄目でした。ジョンの目は、そのうちのひとりを哀願するように見つめ、「足りないひとりはどうしますか」と言っているようでした。その伝道師は腹を立てました(彼は私にこのことを恥じて語ってくれました)。ハイド先生はひどいめに会おうとかまわない、心にかかる妻も子もないのだから。しかし彼らふたりにとっては全然話が違う、というわけです。しかし、ジョンはひとりのたましい、足りない十人めを待って、その場にたたずんでいます。彼は、良い牧者ご自身が、そのひとりを捜しておられること、また「見つけるまでは」捜し続けられることを知っていました。ふたりの伝道師は、ほとんど力ずくで彼を動かそうとしました。そのとき、彼は大声をあげました。「あとのひとりはどうしますか。」
やがて、さきほどの家族の父親がやって来て、「牧師先生、何をお待ちですか」と尋ねました。ジョンは彼に、まだ主の囲いに導かれないひとりについて語りました。すると彼は、「まあ、おりますよ!」と叫びました。「今しがた帰りましたよ。養子にした私の甥が。」こう言って彼は、その少年を連れ出しました。ハイドはその家に引き返し、彼がキリストを信じているかどうかを尋ねました。彼は明るい、賢い少年でした。こうして、十人めが導かれることになったのです。
ハイドは馬車に乗り込むとき、さすがに心の平安と、やれやれといった満足から、大きく息をつきました。もちろん彼らは守られて、無事に帰宅しました――良い牧者がその忠実な働き人に与えられる平安に満ちた心をもって。そうです、それは、彼らが主に差し上げた安息でもありました。なぜなら、このようにして、主はなおも、ご自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足されるからです。
では、シャルコットに別れを告げましょう!このことに関しては、これ以上このような神聖な場面には触れません。そこには、これからも、そのような聖なる地に集まる人々があるでしょう。また、毎年集う大会衆を世話する人々があるでしょう。あの祈禱室で見張りを続ける人々もあるでしょう。しかし、私たちの親愛なる兄弟ハイドにとって、一九一〇年は、シャルコットにおける最後の年でした。なぜそんなことに、と不思議に思うかもしれません。わずか四十七歳で。確かに彼が取り去られるのは早過ぎるように思われました。しかし、天の父は、親愛なるジョン・ハイドの生涯がどんなに驚くべきものであったかご存じです。七回のシャルコット聖会と、驚くべき祈禱の七年。神は確かに、ジョン・ハイドのうちに、十分に円熟した経験と品性とをご覧になったでしょう。そして、神と記録係の御使いは、天の穀物倉に収穫されるときの実りの豊かさをご存じでしょう。「豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。」
しかし、シャルコットを去る前に、私はマッケーン・パターソンに感謝のことばを記したいと思います。パターソン、私は主にあってあなたを愛しています。あなたがハイドを愛したから、私はあなたを愛します。親愛なる兄弟よ、たびたび私はあなたのために祈ってきましたが、これからも祈ります。そして、本書を読まれる方もまた、私と共に、シャルコットにおける聖会のために、また、今なおそこで祈り、説教し、賛美しているこの尊い神の人のために祈っていただけないでしょうか。
16.カルカッタと医者
ジョン・ハイドは、神の働きのためにいのちの危険を冒した人々の中でも、最もすぐれた人物でした。サヌバラテとトビヤの陰謀を知らされたネヘミヤは、神の宮に入って戸を閉じておくよう忠告されました。そのとき、彼はこう答えたのです。「私のような者が逃げてよいものか。私のような者で、だれが本堂にはいって生きながらえようか。私ははいって行かない。」
イエスについては、「さて、天に上げられる日が近づいて来たころ、イエスは、エルサレムに行こうとして御顔をまっすぐ向けられた」(ルカ九・五一)としるされています。
ムーディは最後に英国に滞在していたとき、心臓を病んでいました。彼は著名な医者の診断を受けましたが、その医者によれば、過労のため危険な状態にありました。彼は自らのいのちを縮めていたのです。それで、以後、働き過ぎないことを約束しました。
アメリカに帰る航海中、ムーディが乗ったスプリー号は恐ろしい暴風に襲われました。船は一部が浸水し、困惑しきった人々はムーディに訴えました。彼は人々に勧めて祈りました。彼はそのとき、もし人々をこの困難から救い出せるなら、失われたたましいのために働くことを決してやめません、と主に申し上げたのです。
その年の夏、シカゴで万国博覧会がありました。ムーディは、説教者、伝道者、奉仕者、賛美者を、過去においても将来においても、この種の集会ではとうてい見ることができないほど多く集めました。ホール、物置き、劇場、教会、ついにはサーカスのテントまでが伝道集会のために用いられました。ムーディは昔と同じようにありったけの力を出して働きました。彼らはこの大々的な伝道を成功させました。数か月後、カンザス・シティで、すさまじい勢いで講壇の上で説教している間に、この偉大な伝道者の心臓は衰え、声は消え、地上における彼の奉仕は終わりました。数日後、彼はノースフィールドで友人たちに囲まれて、尊いたましいをイエスに導くために自分のいのちを惜しまなかった高潔な人々の群に加わるために、地上の生涯を終えました。
カルカッタに住む、ジョン・ハイドの友人で、人々から侮られ捨てられるとはどういうことかを知っている人が、ジョンの祈りの生活について次のようなあかしをしています。
「私はT氏が、最初、一般のクリスチャンのために開かれた(一九〇六年の)すばらしいシャルコット聖会のために、親愛なるハイドが三十日三十夜、祈りに費やしたことについて語っていたのを覚えています。
この話は、当時の私の祈りのない生活とあまりにも対照的でしたから、非常に感動しました。T氏とふたりきりのとき、さらに詳しく話してくれるようせがみましたが(彼自身、この小さな祈りの群に二十一日間加わっていましたから)、彼はその詳細について語るのを大変いやがりました。そして言いました。『詳しいことは言えませんが、それは神と共に聖なる山にある時でした』と。」
一九一〇年のシャルコット聖会の直後、ジョン・ハイドはカルカッタで集会を開きました。そこに住む彼の友人がハイドのことをしるしています。
「彼は私たちの家に二週間近く滞在しました。その間、彼にはずっと熱がありました。しかし彼は、定期的に集会を続けました。肉体的には、とうてい働けるはずではなかったのに、神は彼を通して、何と私たちに語られたことか!そのころ、私は健康がすぐれず、胸痛のために眠れない日が何日か続きました。ハイド氏が向かいの部屋で何をしているかを知ったのはそのときでした。私がいた部屋は暗かったので、彼が床を出てスイッチをつけるとき、電灯の光が見えました。私は彼が、十二時、二時、四時、そして五時にそうするのを見ました。その明かりは日が昇るまでついていました。それで私は、夜の見張りと病気にもかかわらず、彼が朝は五時に起床することがわかりました。
そのとき学んだことを決して忘れないでしょう。私は就寝時には非常に疲れを覚えたので、いつも夜の寝ずの待望は免除してもらいました。私は今まで、夜中に神を待ち望む特権を祈り求めたことがあったでしょうか。一度もありませんでした!私はハイド氏を見て、すぐにその場で、この特権を求めました。夜ごと私を眠らせなかった痛みは、主を『思い出させる人』と共に夜の見張りを続けるという、突然に発見したこの新しい務めのゆえに、喜びと賛美に変えられました。ついに胸痛は全くなくなり、安眠できるようになりましたが、心配なのは、神との交わりの時がなくなることでした。私は、「主よ、時間になったら起こしてください』(イザヤ五〇・四参照)と祈りました。最初は午前二時に、以後は驚くほど正確に、四時には目覚めさせられました。毎朝五時には、近くの回教寺院で、僧侶が鳴り響く音楽的な声で大声で祈るのを聞きました。けれども私は、その僧侶よりも一時間も前から祈っていることを思って喜びに満たされました。
しかし、ハイド氏の病状は悪化していました。そのうえ、彼のミッションの年会は彼を招いていました。心配なので、私は彼を医者に連れて行きました。翌朝、医者は言いました。「心臓がひどい状態です。これまで、こんな悪い症状を見たことがない。左側にあるはずのものが右側に移動してしまっています。過労と緊張のため、こんなに悪化したのですから、普通の状態に回復するまでには、長期の厳重な安静が必要です。いったいあなたは、何をしてこられたのですか。」親愛なるハイド氏はひとことも語らず、にっこり笑っただけでした。けれども彼を知っている私たちは、その原因が、彼が導いている回心者のため、同労者のため、その友人のため、そしてインドの教会のために多くの涙をもって熱い祈りをささげた、日夜の絶え間ない祈りの生活のゆえであることを知っていました!」
ついでこの友人は、神がどのように、ハイドの模範を通して、祈りの生活を続けるよう教えられたか、また、どのようにその後彼もまたジョン・ハイドのように、ただひとりで罪に対する神の怒りの酒ぶねを踏んでいるように思えるまでゲッセマネの奥深くにまで下りに下っていって、キリストの苦難にあずかるようになったかをしるしています。
「御霊は、ねたむほどに(私たちを)慕い求めておられる」(ヤコブ四・五欄外)。私たちが、私たちのうちに主ご自身と交わるいのちを持つということこそ、主が最も願っておられることです。この至高の願いゆえに、主は、求められず招かれなくても、早朝に起きて捜し、ノックされるのです(イザヤ五〇四)。もし求められ、招かれたなら、どんなに主は喜ばれるでしょう!このことは、朝の見張りの、言いようのない尊さと栄誉とを示すものではないでしょうか。
神は、私たちとの交わりを求められます。それは、神ご自身の権利であると同時に、私たちの益となるからです。そして、この交わりを一日のはじめにするよう願われます。その日の最良のもの、最良の時間を要求されるのです。このようなすばらしい特権に迫られて、この交わりの生活をつちかうことは、私たちにとっては、おごそかな義務であると言えるのではないでしょうか。
そうです、もし私たちが願うなら、神は生かし、力づけてくださるでしょう。
ゲッセマネを覚えましょう!最大の危機に際して、私たちの主が弟子たちに訴えたのは、「一時間でも、わたしといっしょに目をさましていることができなかったのか」でした。この訴えは三度繰り返されましたが、敵の力が眠りを通して弟子たちを圧倒していたので、彼らの耳には少しも入りませんでした。私たちは、御座に立っておられる「ほふられたように見える」小羊が、この世界の危機に際し、教会の危機に際して、再び同じ訴えをされるのを聞かないでしょうか。「一時間でも、わたしといっしょに目をさましていることができなかったのか」と。教会の復興は、私たちの祈りの生活の復興にかかっています。主がこのうえなく慕い求められる親しい交わりのために、静かな時を私たちが持つなら、やって来る世の力は私たちの思いどおりになるのです。
無力を嘆き悲しむ人よ
やさしいささやきを聞かないか
「一時間も起きていられなかったのか」という主の御声を
成熟と祝福の近道はない
神との交わり、それこそ聖なる奉仕の力
雪のように白いページをことばや行いが汚す前に
すべてをささげて主のもとに来よう
その後の記録は恐れずゆだねて
主は確かに書きとめられる
何が起こってもそれはよいこと
まもなく黄金の日の出が東の空に
夜回りたちの最後の声が聞こえる
あがないの日は近づいたと
私の霊を燃やしてください
その日の朝こそ「花婿が来られる」のだ
このカルカッタの友人は最後にこうしるしています。
「『投獄されて殺された殉教者のことは聞いている。しかし、日ごとの重荷の重圧によって早死にするほど祈りの職務に没頭した人のことを聞いたことがあるだろうか。』これを聞いたほかのインドの兄弟は言いました。『いや、君、早死にではない。それはイエス・キリストの死だ。ジョン・ハイドはインドにある神の教会のために、自分のいのちを十分承知の上で静かに投げ出したのだ。』その足跡を踏む人はだれでしょう。」
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