2022年5月9日月曜日

『わたしたちが一つであるように・・・』第20回会合

T・オースティン・スパークス
『わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるために』フィリピン、マニラ、1964年
That They May All Be One, Even As We Are One.
Manila Philippines, 1964

第二十回会合―『ただ、この一事に励んでいます』
Meeting 20 - "This One Thing I Do"

第二十回会合
(1964年2月16日午前)

神の御言葉の中から、いくつかをお読みします:

『ところが、旅を続けて、真昼ごろダマスコに近づいたとき、突然、天からまばゆい光が私の回りを照らしたのです。私は地に倒れ、『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。』という声を聞きました。そこで私が答えて、『主よ。あなたはどなたですか。』と言うと、その方は、『わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスだ。』と言われました。私といっしょにいた者たちは、その光は見たのですが、私に語っている方の声は聞き分けられませんでした。私が、『主よ。私はどうしたらよいのでしょうか。』と尋ねると、主は私に、『起きて、ダマスコに行きなさい。あなたがするように決められていることはみな、そこで告げられる。』と言われました。ところが、その光の輝きのために、私の目は何も見えなかったので、いっしょにいた者たちに手を引かれてダマスコにはいりました。』(使徒行伝22・6~11)

『こういうわけで、アグリッパ王よ、私は、この天からの啓示にそむかず、・・・・』(使徒行伝26・19)

『兄弟たちよ。私たちがアジヤで会った苦しみについて、ぜひ知っておいてください。私たちは、非常に激しい、耐えられないほどの圧迫を受け、ついにいのちさえも危くなり、ほんとうに、自分の心の中で死を覚悟しました。これは、もはや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となるためでした。ところが神は、これほどの大きな死の危険から、私たちを救い出してくださいました。また将来も救い出してくださいます。なおも救い出してくださるという望みを、私たちはこの神に置いているのです。』(第二コリント1・8~10)

『彼らはキリストのしもべですか。私は狂気したように言いますが、私は彼ら以上にそうなのです。私の労苦は彼らよりも多く、牢に入れられたことも多く、また、むち打たれたことは数えきれず、死に直面したこともしばしばでした。ユダヤ人から三十九のむちを受けたことが五度、むちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度あり、一昼夜、海上を漂ったこともあります。幾度も旅をし、川の難、盗賊の難、同国民から受ける難、異邦人から受ける難、都市の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さに凍え、裸でいたこともありました。このような外から来ることのほかに、日々私に押しかかるすべての教会への心づかいがあります。』(第二コリント11・23~28)

『兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕えたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。』(ピリピ3・13、14)

『主よ。私はどうしたらよいのでしょうか。』そして、『ただ、この一事に励んでいます。』この二つの短い言葉が、使徒パウロの人生の始まりと終わりを物語っています。彼のキリスト者としての生活が始まったのは、彼が、『主よ、私はどうしたらよいのでしょうか』と言った時でした。ピリピ人への手紙を書いたとき、パウロの地上での旅は終わりに差し掛かっていました。彼は、ローマの牢獄で処刑されるのを待っているところでした。人生が終わりに近づいているときも、彼はまだ、『ただ、この一事に励んでいる』と言っていました。パウロの人生は、『主よ、私はどうしたらよいのでしょうか』から始まりました。その人生は、『私はただ、この一事に励んでいます』で終わりました。彼のキリスト者としての旅の始まりと終わりのあいだには、三十年の歳月がありました。それは、なんと途方もない三十年間だったでしょうか。多くの旅と多くの働き、多くの教えと多くの説教、そして、今、読んだように多くの苦難。三十年に渡る彼のキリスト者としての生活には、実に多くのことがありました。その三十年間には、彼の人生が終わりかけたことも、何度となくありました。その苦難が人生を終わらせていたかもしれません。もっと早く絶望して、「これ以上耐えられない、あまりに辛すぎることばかりだ、もうあきらめるしかない」と言っても不思議ではなかったでしょう。しかし、彼は最後までやり通しました。そして、彼の最後の言葉のひとつがこれです、私は、『ただ、この一事に励んでいます。神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。』

今朝、私たちが関心を持っているのは、最後まで勝利のうちにまっすぐに進む奥義を知るということにつきます。私たちは使徒パウロが受けたほど多くの苦しみを味わうことはないかもしれません。しかし、私たちのキリスト者としての人生には、十分な困難が起こるでしょうし、それが重すぎると思えることもあるでしょう。そして、これ以上続けることができるだろうかと疑い始め、時には、あきらめてしまおうという誘惑にかられることになります。その時に知りたいと思うのは、最後に勝利するための奥義です。最後までやり通さないキリスト者が数多くいることは、あなたもご存知でしょう。投げ出してしまった人たちを、あなたも知っているでしょうし、私もたくさん知っています。彼らは、始まりにはとてもよい者たちと見え、期待に満ちていました。それから、彼らは主から離れて行きました。救い主のもとを去ったのです。そして、この世界には、そのような人が非常に多くいます。彼らは始めたことを、やり通さなかったのです。非常に多くのキリスト者が、主から離れていきました。その多くは、その道があまりにも困難であったために、離れたのです。

ですから、私たちは、どうすれば最後まで続けることができるかを知ることが非常に大切です。そして、使徒パウロの例は、このことで私たちに何かを教えてくれます。すべては始まりに大きくかかっているのです。終わりが始まりから直結していることは、非常によくあります。パウロの場合、彼にはあの始まりがあったからこそ、最後まで続けることができました。使徒パウロはその始まりを非常に短い文章で表しました。彼はそれを『天からの啓示』と呼びました。アグリッパ王の前で裁判にかけられたとき、彼は、「私は、この天からの啓示にそむかなかった!」と言いました。その天の啓示がどのようなものあったか、私たちも先ほど読んだばかりです。彼にとっての天の啓示とは、主イエス様でした。パウロは、キリスト教に入信しようとか、ある宗教から別の宗教に転向しようと決心したのではありません。パウロは、イエス・キリストに関する特定の教えを受け入れようと決意したのではありません。誰かがキリスト者になるように説得したわけでもありません。そのいずれでもありません。また、人をキリスト者になろうと言う気持ちにさせるような事柄に動かされわけでもなかったのです。

パウロはイエス・キリストを見ました。彼にとって、始まりは宗教でも教えでもなく、このお方でした。後に、彼はそのことを、こう言い表しています、『神は御子を私のうちに啓示することをよしとされた』(ガラテヤ1・15、16)。彼はイエス・キリストと非常に個人的な出会いをしました。それは、非常に個人的でした。パウロは、その時点ではタルソのサウロでしたが、群衆の中の一人でした。彼と一緒にダマスコに向かっていた一行に何人いたのかはわかりません。しかし、他にもたくさんの人がいたことは確かです。彼らもパウロと一緒に光を見ましたが、声は聞かなかったとあります。主イエス様に会ったのはパウロ一人であり、それは非常に個人的な出会いでした。イエス様は彼の名前を知っていました。主は言われました、『サウロ、サウロ。』イエス様は、彼がいるところを正確に知っていました。イエス様はどこに行けば彼に会えるか知っていました。そして、イエス様は彼がしていることも正確に知っていました。つまり、イエス様はこの男のすべてを知っていました。そして、主は、非常に個人的なかたちで彼のもとに下りてきたのです。パウロのキリスト者としての人生の始まりは、彼自身と主とのあいだの非常に個人的な出会いでした。この始まりについて、もう一度、見てみましょう。

ああ、始まりがどれだけ大切かということを、もう一度、言っておきます。あなたが何か建物を作るとして、その建物が長持ちして、風や雨が吹きつける大嵐に耐え、その上に圧し掛かる重荷に持ちこたえるようなものにしたければ、強固な土台がなければなりません。その建物のすべては、土台にかかっているのです。キリスト者の生活も同じです。私たちがどれだけ強く持ちこたえられるかということは、私たちの土台で決まる問題になります。そこで、この土台をもう一度、見てみましょう。この土台がこの男と主とのあいだに置かれた非常に個人的な土台であることを、私たちは見てきました。これは、私たちの一人ひとりにとっても同じでなければなりません。私たちも、こう言えるようでなければなりません、「主は私に個人的に会い、私は主に個人的に会った。他の誰かに言われてそうなったのではない。何かの本で読んだことでもない。日曜学校で教えられたことでもない。説教者が話しているのを聞いたわけでもない。これは、私と主とのあいだの非常に個人的なことだ。この世に他のキリスト者が一人もいなかったとしても、私は自分が立つべき場所を知っている。私が世界でただ一人のキリスト者であったとしても、私は主ご自身に会ったからキリスト者になったのだ。私は自分自身の経験によって主を知っている。」

これは非常に大切なことであることを強調しておきます。私は、使徒パウロがしたような経験をすべてしたわけではありませんが、パウロよりもずっと長い年月、主の働きに携わってきました。キリスト教を見ると、私たちの心は沈むことがありますね。どこへ行っても分派があり、完全に矛盾したキリスト者がおおぜいいます。キリスト者やキリスト教の中に、主から来ていないものをたくさん見ます。そして、私たちは簡単にすべてをあきらめて、「私たちは間違いを犯した、間違った道を歩いているのだ!」と言ってしまうのです。これだけたくさんの偽りの教えや偽ものの教師がいる中で、私たちはどうやって進み続けることができるでしょうか?パウロが自分が受けた苦難の一覧ににせ兄弟の難をいれていることにお気づきでしょう。たくさんのにせ兄弟に囲まれているとき、ああ、そこから完全に離れてしまうことができたら、どれだけ簡単でしょうか。あなたも時にはそんなふうに感じることがあるでしょう。他のキリスト者たちを見て、がっかりすることがあるかもしれません。そして、「もうキリスト教にはうんざりしたよ。私が期待していたものとは違う」と言いたくなるかもしれません。私たちを前に進めてくれるものは何でしょうか?それはただひとつ、個人的に主を知っていることです。私たちにとって、主は本物の現実です。私たちが立っている土台は非常に強固なものです。私たちの土台は、教えでも、宗教でも、社会でもありません。私たちの土台は、ただ一人のお方です。このことを第一に覚え、そして、これが自分の土台となるように求めましょう。

サウロ、または、パウロの始まりについては、もう一つ、別のことがあります。彼は主に何と語りかけたでしょうか?イエス様は、『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか』と言いました。サウルが、次のことばを発したときには、自分の言っていることが分かっていなかったのでしょう。私たちも何かを話しながら、自分が言っていることが分からないことがあります。タルソのサウロが言った次の言葉がどういう意味なのか、その時は自分でも分かっていませんでした。彼は、『主よ。あなたはどなたですか』と言いました。そして、イエス様が、『わたしは、ナザレのイエスである』(使徒9・4、5)と答えたとき、サウロの方はこう言いそうになったのではないでしょうか、「ああ、私はあなたを主と呼ぶつもりなどなかった。私はナザレのイエスを迫害する者だ。この人を主と呼ぶ気持などなかった。」しかし、サウルはそう言いませんでした。彼は、自分がナザレのこの悪人であるイエスを主と呼んでしまったことに気づいても、それを取り消しませんでした。彼は、「私は間違いを犯した。ああ、こんなことを言ってしまって謝らなければ」とは言いませんでした。彼は、同じ呼びかけを繰り返しました。そして、言いました、『主よ。私はどうしたらよいのでしょうか。』ナザレのイエスを二回も「主」と呼ぶことは、この男にとって考えもつかないことでした。

大祭司からナザレのイエスに従う者をすべて投獄する権限を得て、そして、ここに書かれているように、『誰でもこの道の者たちに対する脅かしと殺害の意に燃えて』、ダマスコへ向けた旅に出たサウロに、あなたが会ったと想像してみてください。その旅に出発したばかりの彼に会って、『サウロ、この旅を終える前に、あなたはナザレのイエスを主と呼ぶようになるんだよ』と言ったらどうでしょう。サウロはどう答えたと思いますか?あなたをすぐにでも牢屋に放り込んだでしょうね。この男にとって、ナザレのイエスを『主』と呼ぶなど、世界がひっくり返っても絶対に考えるはずもないことでした。それは、全面的な降伏を意味していました。

『主』というこの言葉には、すべてを委ねるという思いが込められていました。それが、彼の始まりでした。主としてのイエス様への完全で絶対的な明け渡し。これは彼にとって、考えられないほど大きなことでした。『私はどうしたらよいのでしょうか』というこの言葉に注目してください。ここにいたのは、何をすべきか、いつも自分で決めてきた若者です。ここにいたのは、生まれながらに非常に強い意志を持っていた若者です。誰もその意志に逆らうことはできませんでした。実の両親が懇願しても、彼は聞き入れなかったでしょう。誰が考えを変えるように説得しても、彼はこう言っていたでしょう、「私の気持ちは変わらない、私はこうすると決めている。誰が何と言おうと関係なく、私はこれをやるのだ。」タルソのサウロはこのような固い意思を持っていました。その彼が今では、「私はどうしたらよいのでしょうか」と言っています。その強い自意識は、主であるイエス・キリストの支配に完全に委ねられました。これは実に深遠なことでした。このような始まりをした人は、最後まで全てをやり抜くものです。これが彼の始まりでした。彼は、すべてを主であるイエス・キリストの手に明け渡しました。すなわち、彼はこう言ったのと同じです、「これからは私の意志ではなく、あなたの意志に従います。これからは私のやり方ではなく、あなたのやり方です。これからはもう、自分で計画した私の人生ではなく、主よ、私に対するあなたのご計画です。」それは非常な重荷を運んでいくことになる土台でした。私たちが読んできたように、それからの三十年間にどれだけことが起こったかを考えてみてください。家に帰った後で、読み直してみてください。

この三十年にわたる苦難、苦悩、そして、試練は、二つのことを証明しています。第一に、パウロの主イエスに対する明け渡しが、いかに純粋であったかを証明するものです。この男はこうは言いませんでした、「主よ、もしあなたが、私に安易な生活をさせてくれたら、あなたのために生きます。主よ、私の人生に面倒が起こらないように、あなたが見ていてくれさえしたら、私は良いキリスト者になります。私の人生を祝福で満たしてくれたら、私はキリスト者になって、あなたに従います。」彼は主に対して、そのようには言っていません。彼の思いとは、祝福があろうとなかろうと、あなたは私の主であり、私はあなたの奴隷であるということです。そして、三十年に渡ってあらゆる試練を受けることによって、その明け渡しは試されました。彼は言いました、『むちで打たれたことが三度ある。』『ユダヤ人から四十に一つ足りないむちを受けたことが五度ある』(第二コリント11・25、24、口語訳)。なぜ、彼は一つ足りないと言ったのでしょうか?なぜなら、四十回目のむちは致命的な衝撃を与えると考えられていたからです。三十九回、打たれたら、次の一打ちで人は死んでしまいます。パウロにはそれが三度、起こりました。三十九回目のむちが彼に打ちおろされたとき、悪魔が言ったのではないでしょうか、「おい、これでもお前はあの主に身を委ねているのか?まだ、あいつを主と呼ぶのか?あいつを主を呼ぶのをやめさえすれば、この降り下ろされるむちも止まるんだよ。イエス・キリストに自分をゆだねるのをやめれば、今の状況は全部、良い方向に変わるんだぞ。』サタンは何度もこんなふうに語りかけたのではないでしょうか。そして、むちが打ちおろされるたびに、サタンは、「お前はまだあいつを主を呼ぶつもりなのか?」と言うのです。しかも、三十九のむちを三度、受けただけはなく、もっとたくさんの苦しみがありました。投獄されたこともありました。石で打たれて死にかけたこともあれば、海で難破したこともあり、その他にも多くの苦難がありました。普通ならば主イエス様に対する明け渡しを考え直したくなるような、数多くの苦しみが繰り返されたのです。しかし、これらの困難が、逆に彼の主への明け渡しが本物であることを明らかにしました。それは、人間的の意志で行ったものではありません。それは、その人自身をすら大きく超えるものでした。

このことは、三十年の歳月が証明したもうひとつの事実につながってゆきます。この三十年間に渡る多くの困難と試練は、主イエス様がいかに偉大であるかを証明するものでした。主イエス様は度重なる投獄よりも大きな方です。主はこのような様々な苦しみをはるかに超えるお方です。主は、人にその多くの苦難を通させながら、最後に、「私はなお進んで行く」と言わせるお方です。パウロは後で書いた手紙の中で、この言葉を使いました。彼は、「私たちのうちに働く力によって」語りました。それは、彼の中に働いている主の力でした。

ここで、私たちが覚えておくべきことがあります。主の強大な力が私たちのうちに働いていても、その時には私たちはそのことに気づかないことがあります。外からは、全てがサタンの思い通りに動いているように見えるかもしれません。イエス様は主ではなく、その場の流れが全てを支配しているかのように感じられるかもしれません。しかし、ある力が私たちのうちに働いているか、どうすれば分かるでしょうか?困難の中で、私たちがその力を意識しているかどうかは問題ではありません。それは、その力が私たちを困難を乗り越えさせてくれることです。主イエス様のその強い力がパウロの中に働いて、彼はすべての困難を乗り越え、最後に、『ただ、この一事に励んでいる』と言える境地に到達できたのです。つまり、その多くの困難が必要だったのは、人生にどれだけ偉大な主が入って来てくださったか、パウロが認めるためでした。すべてが、あまりに安易だったら、私たちは主がどれほど偉大なお方か、知ることもできないでしょう。

さて、ピリピ人へのこの手紙の全体を読んでみてください。先ほど一部をお読みした第三章では、使徒パウロが、主イエス様に出会う前に自分が持っていたこの世的な強さを語っています。彼は言っています、「自分を誇ることにかけては、私はだれにも負けません。ほかの人が人間的なものに頼むところがあると思うなら、私はそれ以上です。八日目の割礼を受けた私は、まことのアブラハムの子孫であり、これは立派なことです。イスラエル民族に属し、イスラエルの家系から生まれた私に、他所の民族の血統は全く入っていません。私は、ベニヤミンの分かれの者です。そして、ベニヤミンと言えばイスラエルの最初の王を輩出しました。私はベニヤミン族に属しています。私はヘブル人の親から生まれたきっすいのヘブル人で、他の民の血は混じっていません。律法についてはパリサイ人。高慢で自分に満足しきったパリサイ人。その熱心は教会を迫害したほどです。律法による義についてならば非難されるところのない者です。」この世的に見れば、これ以上、立派な人間があるでしょうか?ここにいるのは、職業を遂行する上で最高位にまで上りつめた若者です。彼はこの世で大成功を収めました。今、彼は何を言っているでしょう?「私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。世の人々が名声や成功のために欲するものは多くありますが、その中に、主イエス様と比べうるものなどありません。」主イエス様はこの男の人生を完全に捉えてしまいました。彼は、イエス様はこれらすべてのものに優るお方であると言ったのです。

さて、そろそろ終わりにしなければなりません。まだ言い足りないことはたくさんありますが、最後に一つだけ述べて終わりにします。パウロがこのピリピ人への手紙を書いたとき、彼は牢獄にいました。先にも述べたように、彼は死刑判決を待っているところでした。彼には、もう世界中を旅して説教することはできません。世界各地にいる愛する人々を訪ねることもできなくなりました。多くの友人たちが彼のもとを去っていきました。今となっては、彼が公の場でできることは、ほとんどありません。そのすべてが終わりを迎えていました。だから、そこにあったのは、教会ではなく、働きでもなく、主イエス様でした。パウロの人生は、働きが全てだったのではありません。世界中を旅して説教をしたことが全てだったわけでもありません。それらがすべて取り去られたときも、彼は、「私はまだ前に進み続けている」と言っています。「私は、ただ、この一事に励んでいます。働きを取り上げられても、私は主とともに進みます。友人たちがいなくなっても、私は主と共に歩みます。自由を奪われても、私はなお主と共に進みます。」この方は何と偉大なる主であることでしょう。

さて、主イエス様が私たちにとってそのようなお方であれば、私たちも最後までやり抜くことができます。パウロは、『主よ、私はどうしたらよいのでしょうか』と言うことばから始めました。彼は、『私は、この一事に励んでいます』と言うことばで終わりました。この一事、このただひとつのことに目を向けることはどれほど大切でしょうか。片方の目がこっちを向いていて、別の目があっちを向いているのではなく、二つの心に分かれているのでもなく、ひとつの目、あるいは両方の目が一つのことに向けられているのです。私自身も、人生の関心はただひとつのことに向けられており、その対象とは主イエス様です。私の仕事において、大切なのは主イエス様です。学校でも主イエス様です。家でも、主イエス様です。友人たちのあいだでも、主イエス様だけです。この人生の全てにおいて、私の関心はただ一つのことに向けられており、それは、主イエス様が私の人生の中で持つべきものを全て持つことです。そうであれば、多くの人が途中で脱落しても、私たちは最後までやり遂げることができるはずです。

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