『わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるために』フィリピン、マニラ、1964年
That They May All Be One, Even As We Are One.
Manila Philippines, 1964
第十一回会合—『主の臨在:「主が私たちとともにおられる」』
Meeting 11 - The Presence of the Lord: "The Lord is With Us"
第十一回会合
(1964年2月8日午前)
引用聖句、出エジプト記25:8、ヨハネ1:14:
『彼らがわたしのために聖所を造るなら、わたしは彼らの中に住む。』
『ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。(私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。)この方は恵みとまことに満ちておられた。』
人のあいだに住みたいという神の大いなる願いについて、今朝も話しを続けます。私たちの個人的な生活において、主の民としてともに生きる生活において、主のためのすべての働きにおいて、何よりも大切なことは主の臨在であります。主の臨在ほど重要なものは、他にありません。私たちは、そのことについて、いつも祈っているので、その大切さはよく理解しているはずです。私たちは毎日、主がともにいてくださるように祈っています。会合に集まったときも、主がともにいてくださるように祈ります。何かしら、主の奉仕に出かけるときも、主がともにいてくださるように祈ります。しかし、どれだけ祈っても、祈るだけでは主の臨在は確実なものにはならないことを、私たちはほとんど理解していません。私たちは、主の臨在を求めて、昼も夜も休みなく祈り、幾夜も続けて祈ることがあります。そして、主の臨在を求めてこれだけ祈るのだから、主が臨在されることは間違いないと考えるかもしれません。それは、私たちがどれだけ祈るかかというだけの問題ではありません。主の臨在は、その対象が主にふさわしいかどうかによって決まります。主が臨在するように祈っても、その対象が間違っていれば、主の臨在はありません。