『わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるために』フィリピン、マニラ、1964年
That They May All Be One, Even As We Are One.
Manila Philippines, 1964
第二十二回会合―『大祭司の祈り―父よ、すべての家族がわたしとともに、そこにいられますように』
Meeting 22 - The Prayer of Our High Priest: Father, I Want My Whole Family to be There With Me
第二十二回例会
(1964年2月18日 午後)
引用聖句:ヨハネ17章
新約聖書には、主イエス様が弟子たちに与えた祈りがもう一つあります。その祈りは一般に主の祈りと呼ばれているものです。『天にいます私たちの父よ』という言葉で始まる祈りを皆さんも覚えているでしょう。しかし、この祈りは主の祈りではなかったのです。この祈りは、主の祈りではあり得ません。主が弟子たちにこの祈りを与えたのは、彼らが祈る筋道を示すためでした。それを主の祈りと呼ぶのは正しくありません。主イエス様が、御父に向かって、『私たちの負いめをお赦しください』と言うことはありません。主には、赦しを求める必要などないからです。そうなれば、主が罪人であったことになります。そして、主の中に、罪はありません。真の主の祈りは、私たちが今、読んだものです。ヨハネの福音書、十七章こそ本当の主の祈りです。ここで、主の祈りから、私たちがどのように祈るべきかということを学ぶことができます。ですから、この祈りを通して、主に従うことにしましょう。