2016年6月20日月曜日

心から心への言葉[37]献身は主の恵みであり、私たちの喜び

[37]献身は主の恵みであり、私たちの喜び
ウォッチマン・ニー、『心から心への言葉』

神が、ご自身への献身を求められることは、私たちにとって何という大きな喜びでしょうか!パウロは、コリントの信者たちに、主が死んでよみがえったのだから、もはや彼らも自分のためにではなく、主のために生きなくてはいけないと語りました(第2コリント5:15を参照)。もし、私たちのために死んでよみがえられた主が、ご自身のために生きる機会を与えてくださらなければ、キリスト者としての生活はとても惨めなものとなるでしょう。

ある時、私は引っ越しすることになりました。その頃、私は一人暮らしで、自分だけでは重い家具を動かすことは、とてもできなかったのですが、二人の兄弟が来て、手を貸してくれ、家具を全部、運んでくれました。彼らのからだはホコリまみれになってしまいました。私は兄弟たちにお腹が空いていないか、喉が渇いていないか尋ねましたが、『そんなことはない』という答えでした。彼らはそのまま、自分の家に帰りました。その夜、私は二人の兄弟が汗まみれで、汚れたまま家に帰り、自分は何のお礼もしなかったことが気になって、いつまでも眠れませんでした。心の中でそのことを深く悔やんでいました。その日は一晩中、よく眠れなかったのです。

主イエス様は、私たちのあがないという御業を成し遂げられました。主がなされたことは、家具を動かす仕事よりはるかに大きなものです。『主よ、私たちに何をして欲しいのですか?』と訊けば、主はこう答えるでしょう、『私がすべてをなした。あなたは何もしなくてよい。』この会話が本当に行われたとしたら、誰もがとても落ち着かない気持ちになったでしょう。神が私たちをあがなわれたとき、ひとつ目の大きな恵みをくださったと、私はいつも感じます。そして、私たちが自分を捧げることを許されるとき、主は二番目の大きな恵みをくださいます。

もし、主のあがないを受けながら、主のために生きるという気持ちのなければ、その人はまったく、または、ほとんど救われていないと思わざるをえません。そのような人は、神の救いの素晴らしさをよく分かっていないからです。

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