2017年2月2日木曜日

神前有能[第5日]『だから、こう祈りなさい』(1)

ウォッチマン・ニー
神前有能
第1部、だから、こう祈りなさい。

第5日
『だから、こう祈りなさい』(1)

『聖なる父。あなたがわたしに下さっているあなたの御名の中に、彼らを保ってください。それはわたしたちと同様に、彼らが一つとなるためです。』ヨハネ17.11

『だから、こう祈りなさい。天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。御国が来ますように。みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。』マタイ6.9~13

では、主がどのように祈り方を教えてくれるかをみることにしましょう。この祈りは、よく主の祈りと呼ばれています。この言い方は誤りです。なぜなら、それは主ご自身の祈りではないからです。これは、主が私たちに祈ることを教えている祈りです。ルカ11章1~4節にもっとも、明瞭に示されています。この祈りをよく学ぶべきです。『だから、こう祈りなさい。』こう祈るというのは、この節にある言葉を祈りのたびに繰り返すことではありません。それは、決して、主が望んでいることではないのです。主は、私たちに祈り方を教えてくれますが、この言葉を繰り返すように求めてはいません。

この世界が始まってから、いつも神への祈りが捧げられてきました。世代を超え、時を超えて、数えきれないほど多くの人々が、神の前に来て、祈ってきました。その中で、正しく祈った者は、きわめて少なかったのです。

多くの人は自分が欲しいものばかりを考え、神の求めるものに注意を向ける人はわずかしかいません。このためにこそ、主イエス様は口を開き、上で読んだように祈ることを教えています。そして、この種の祈りは、非常な重みと偉大さと深さを持っています。学びたいと全く思っていないのなら別ですが、少しでも祈り方を学びたい気持ちがあるなら、『このように祈る』ことを学ばなければなりません。神が地上に来て人となられたのであり、この方が初めて、的を得た祈りとはどのようなものか、私たちに教えてくださっているからです。

主は、私たちが、『天にいます私たちの父』に向かって祈ることを願っています。この名前、『父』とは、人間が神を指す新しい呼び方です。かつて人間は神を、『全能の神』、『いと高き神』、または、『エホバの神』といった言葉で呼んできましたが、『父』と呼ぶことなど、思いもしませんでした。ここで、まったく初めて、神は、『父』と呼ばれたのです。ここからはっきり分かるように、この祈りを捧げているのは、既に救われ、永遠のいのちを受けた者たちです。人は救われたからこそ、神を、『父』と呼ぶことができます。主から生まれたものだけが、神の子供です。神を『父』と呼ぶことができるのは彼らだけです。これは、『天にいます私たちの父』に向けられた祈りであり、自分が神の子供であることを踏まえて捧げられています。神の御許に来てこう告げるのはなんと甘美で、大きな安らぎとなることでしょう、『天にいます私たちの父。』

神を『父』と呼べるのは本来、主イエス様だけだったのですが、今、主は私たちにも、神を『私たちの父』と呼んで欲しいと願っています。これは本当にすばらしい啓示です。神がそのひとり子をお与えになったほどに、私たちを愛された事実がなければ、どうして、神を、『私たちの父』と呼ぶことなどできましょう?神に感謝しましょう。御子の死と復活を通して、私たちは今、神の子供となりました。私たちは新しい地位を得たのです。これから後、私たちの祈りは、天にいる父に向けられます。なんと親しく、なんと自由で、なんと喜ばしいことでしょう!主の御霊が、父である神をよりよく理解させ、また、私たちの父が愛に満ち、忍耐強くあることを心から信じさせてくださいますように。主は、私たちの祈りを聞くだけでなく、祈ることの喜びを味合わせてくださるでしょう。

その次に来る祈りは、神に捧げる三つの願いにふれています。(a)『御名があがめられますように。』(b)『御国が来ますように。』それから、(c)『みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。』ここにある『天で行なわれるように地でも』は、三つの全ての願いに当てはまるものです。三つの全ての祈りを修飾するする言葉であって、神の『みこころ』に触れている三番目の願いだけを説明しているわけではありません。神の御名は、天であがめられていますが、地ではまだ、崇められていません。天には神の御国がありますが、地にはまだありません。そして、神の御心は天で行われていますが、この地上では、御心に従っていません。私たちはこれを踏まえて、祈る必要があります。

このいわゆる主の祈りの言葉は、私たちの考えをはるかに超えるものです。この世界が造られた時から、人間は一度として、神のもとに来て、神の求めるように祈ったことはなかったようです。この祈りの意義は、神がカーテンの後ろから姿を現して、ご自身の願っておられるところを語ったという事実にあります。神が人間となって、本当に的を得た祈りを教えてくれたのは、これが初めてのことです。ここに私たちは、天の御国とはどのようなものであるか、また、その御国が広がって地上を包み込んだことを直ちに理解できます。神は、ご自身が望んでおられること、何より大切であるとご自身が考えていることを、私たちが祈るよう呼びかけています。

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