私が受け入れることも、容認することもできないのは、神を知らないのに、どのように礼拝すべきかを語る人です。私の神への礼拝は、ひざまずいて聖書を開き、神を求めて心が喘ぐところから始まります。
神への礼拝の仕方を指図する自然詩人に従うことを、私は絶対にしません。その指図が、人間的な観点から来ていることは明らかです。確かに、瞑想すること、自分の姿をあらわにすることによって様々なことが生まれ、多くを得られるでしょうが、私はそれを受け付けません。
あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える(エゼキエル36:26)