2021年2月6日土曜日

エイデン・トウザー【日々の渇き】2月6日

神よ。私の心はゆるぎません。私は歌い、私のたましいもまた、ほめ歌を歌いましょう。十弦の琴よ、立琴よ。目をさませ。私は暁を呼びさましたい。【詩篇108:1-2】

人間の中では、何かが神を礼拝したいと望んでいます。問題は、自分のやりたい方法で、神を礼拝しようとしていることです。神がこのような礼拝者をすべて拒絶されるのはこのためです。主イエス様は、神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければならないと言われました。この『しなければならない』と言う小さな言葉が、余計なものをすべて取り除いてくれます。神のことでは、これ以外の何も受け入れられません。神を礼拝するなら、神がこう礼拝されたいと望むかたちで、礼拝しなければなりません。

そこに妥協はあり得ず、大目に見ることも許されません。ただ、事実が明白に指摘されるため、自分のやり方で礼拝する者は、完全に拒絶されます。

礼拝が本物になるためには、人ではなく、神とともに始まらなければなりません。礼拝は、人間が作り上げたものでも、産み出したものでもありません。礼拝とは、神おひとりから来たものです。純粋な本物の礼拝は、神から来たものだけです。礼拝は神から始まって、人の心を貫き、そして、全てを始めた神のもとに戻ってきます。真の礼拝は、この神の道筋を守ります。

キリスト、その栄光が空に満ちる方、
キリスト、真実であり、ただひとつの光、
義の太陽よ、立ち上がれ、
夜の影を撃ち破れ、
高みから来る夜明けよ、もっと近くへ、
昼の星よ、私の心の中に現れよ。
チャールズ・ウェスレー(1707-1788)

神よ、私の父よ、あなたのご臨在が、自分では支えきれないほど大きな栄光で、私の心を満たします。私自身が消え去るほどに、あなたご自身で私を満たしてください。イエス様の御名によって、アーメン。

My Daily Pursuit, Devotions for every day
A.W. Tozer

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