2024年6月28日金曜日

『神への渇き』、第二章―何も持たない幸福

神への渇き
A・W・トウザー著
柳生直行訳、1958年、いのちのことば社
The Pursuit of God, A. W. Tozer

第二章―何も持たない幸福

こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。――マタイ五・三

主なる神は地上に人間を造られる前に、まずその準備として、人間の生存と歓びのために役立ち、また人間を楽しませる様々なものに満ちた世界を創造された。創世記の天地創造の物語では、それらのものはただ単に「物」と呼ばれている。それらのものは人間が使うために造られたのであるが、それらは常に人間の外にあり、人間に奉仕すべきものであった。人間の心の深いところには一つの宮があって、そこには神以外の何者も住む資格はなかった。人間の内には神がおられ、外には、神が人間に雨のように注がれた無数の贈物があった。

2024年6月23日日曜日

『神への渇き』、第一章―神を慕い求めること

神への渇き
A・W・トウザー著
柳生直行訳、1958年、いのちのことば社
The Pursuit of God, A. W. Tozer

第一章 神を慕い求めること

わたしの魂はあなたにすがりつき、
あなたの右の手はわたしをささえられる。――詩篇六三・八

キリスト教神学は先行的恩寵の教義を説いている。それは簡単に言うと、人間が神を求める前に、まず神が人間を求められたに違いないという意味である。

罪ある人間が神について正しく知る前に、人間の心の中に神による教化のわざが行われたにちがいない。それはたとえ不完全であっても真実のわざであった。それは、つづいて人の心の中に生じる、希求や探求や祈禱のかくれた原因となった。

2024年6月20日木曜日

『神への渇き』、序文、はしがき

神への渇き
A・W・トウザー著
柳生直行訳、1958年、いのちのことば社
The Pursuit of God, A. W. Tozer


目次

第三章 へだての幕を取り除くこと
第四章 神を捉えること
第五章 宇宙における神の内在
第六章 語る声
第七章 魂の凝視
第八章 創造主と被造物の正しい関係の回復
第九章 柔和と魂の安息
第十章 生活の聖礼典
あとがき

2024年6月12日水曜日

オースティン・スパークス、『キリストの学校』、第三章 啓示による学び

キリストの学校
T・オースティン-スパークス著
The School of Christ by T. Austin-Sparks 

第三章 啓示による学び

『すなわち、神々しい幻のうちに、私はイスラエルの地へ連れて行かれ、非常に高い山の上に降ろされた。その南のほうに町が建てられているようであった。主が私をそこに連れて行かれると、そこに、ひとりの人がいた。その姿は青銅でできているようであり、その手に麻のひもと測りざおとを持って門のところに立っていた。その人は私に話しかけた。「人の子よ。あなたの目で見、耳で聞き、わたしがあなたに見せるすべての事を心に留めよ。わたしがあなたを連れて来たのは、あなたにこれを見せるためだ。あなたが見ることをみな、イスラエルの家に告げよ。」(エゼキエル40・2~4)』