今日の教会には、恐ろしい間違いが蔓延しています。人間は、自分の生活で、神とのつながりが大きな位置を占めていると考えていますが、実際にはそうではありません。現実には存在しない神とのつながりに、希望を託す人もいます。
宗教の呪いは、このような考え方を広めてしまうことです。
あるとき、イエス様はパリサイ人を悪魔の子と非難しました。『あなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出た者です。』今日の宗教においては、このような言い方はあまりしません。私たちは皆、ひとつの家族であると教えられています。
ここでは贖いの御業を見落としています。人間が、神とのそれほど調和した関係にあるなら、なぜイエス様が十字架で死ななければならなかったのでしょう?贖いの目的とは何だったのでしょう?
このような考え方が広めるもうひとつの誤りは、人間はそのままでよいということです。人間が、神と調和しているなら、なぜ、人類はこれほどまでにお互いと調和できないのでしょうか?
宗教が教えることは、歴史上の事実とは相容れません。
私の希望は他の何ものでもなく、ただイエス様の血と義の上に建てられます。私は、自分を良い気分にしてくれるものを信じず、イエス様の御名にのみ、より頼みます。エドワード・モート(1797–1874)
天の父よ、あなたがくださる主の驚くべき恵みに感謝します。
イエス・キリストが、私をあなたとの交わりの中へと導きました。
あなたの交わりの他に、喜びはありません。アーメン。
My Daily Pursuit, Devotions for every day
A.W. Tozer
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