2025年5月9日金曜日

祈りのハイド(5/5)、フランシス・A・マッゴー著

祈りのハイド
PRAYING HYDE

フランシス・A・マッゴー著
FRANCIS A. McGAW
瀬尾要造訳
いのちのことば社

21.詩篇二二篇

私は、ジョンの姉妹メリーにあてた手紙の中に、この驚くべきメシヤ詩篇について以下のような注釈が残されていたことを神に感謝するものです。彼は聖句をしるさず、箇所のみをしるしているので、私が聖句を書き加えました。少々配列を変えましたが、注釈は親愛なるジョン自身のものです。

詩篇二二篇
一、二節――「わが神、わが神。どうして、私をお見捨てになったのですか。遠く離れて私をお救いにならないのですか。私のうめきのことばにも。わが神。昼、私は呼びます。しかし、あなたはお答えになりません。夜も、私は黙っていられません。」

2025年5月8日木曜日

祈りのハイド(4/5)、フランシス・A・マッゴー著

祈りのハイド
PRAYING HYDE

フランシス・A・マッゴー著
FRANCIS A. McGAW
瀬尾要造訳
いのちのことば社

17.変えられた人々

ひとりの婦人宣教師の生涯と奉仕にどのような影響を与えたかを見ましょう。彼女は長年その教区で熱心に働きましたが、これという結果を見ることができませんでした。ある日、彼女はハイドの祈りの生活についての記事を読み、神のことばと御旨を学ぶため、祈りと神を待ち望むことに自分の最良の時間をささげる決心をしました。彼女は祈りを第一とし、それまでしてきたように第二にすることはありませんでした。彼女は神の力によって祈りの生活を始めました。神は彼女に語られました。「わたしを呼び求めよ。そうすれば、わたしは、あなたの理解を越えた大いなることをあなたに示そう。あなたはわたしに呼び求めなかったから、これらのことをあなたの働きの中に見ることがないのだ。」彼女はしるしています。「私はどのような犠牲を払っても、主を知り、この祈りの生活を実現しなければならないと感じました。そしてついに心中の戦いはやみ、勝利を得たのでした。」彼女が祈った一つのことは、神が彼女を隠しておかれるようにということでした。彼女が小羊に従う者であろうとするなら、誤解されることがあっても、黙して、自己弁護のために口を開いてはならないのです。

2025年5月7日水曜日

祈りのハイド(3/5)、フランシス・A・マッゴー著

祈りのハイド
PRAYING HYDE

フランシス・A・マッゴー著
FRANCIS A. McGAW
瀬尾要造訳
いのちのことば社

14.一九〇九年の聖会―一日にふたり

再びジョン・ハイドは、明確で執拗な求めによって神のみこころをとらえました。今度は、一日にふたりのたましいを、というものでした。この聖会において、神はこれまでよりもいっそう力強く彼をお用いになりました。神はそのしもべジョン・ハイドを通して語られました。息を殺して、すべての学課のうちで最も神聖なもの――彼が、私たちの罪のために打ち砕かれたキリストのみこころに私たちをあずからせたこと――についてお話ししましょう。神はこの啓示を一度に現して私たちを圧倒することはなさいませんでした。それに耐え得る私たちの能力に応じて、静かに、またやさしく啓示されました。ああ、「みこころを深く悲しませる」全世界の邪悪によって引き裂かれた愛のみこころを、主がどのように示されたかを、だれが忘れることができるでしょう。

2025年5月6日火曜日

祈りのハイド(2/5)、フランシス・A・マッゴー著

祈りのハイド
PRAYING HYDE

フランシス・A・マッゴー著
FRANCIS A. McGAW
瀬尾要造訳
いのちのことば社

9.一九〇五年の聖会――「罪のための嘆き」

パンジャブ祈禱同盟は、毎年春に年会をもちました。しかし、この集会の準備として、指導者たちは多くの時を、祈りと断食と徹夜の見張りに費やしました。そして、同盟の人々が集まると、次の年のために神の指導を仰ぐのです。ひとりの兄弟はこうしるしています。「一九〇五年早々の年会において、神は私たちの心に、罪に沈みゆく世のための重荷を負わせられました。私たちはある程度まで、キリストのご苦難を分担することを許されました。それは、一九〇五年の秋に開かれる聖会のための栄光ある準備でした。」

2025年5月5日月曜日

祈りのハイド(1/5)、フランシス・A・マッゴー著

祈りのハイド
PRAYING HYDE

フランシス・A・マッゴー著
FRANCIS A. McGAW
瀬尾要造訳
いのちのことば社

1.家庭内のキリスト

「きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから」(ルカ一九・五)とイエスは言われました。その日はザアカイにとって、何という恵みの時であったことでしょう。キリストが家に来られたのですから。

人々がしばしば「祈りの使徒」と呼ぶジョン・ハイドは、イエスが常に臨在され、たえず祈りがささげられる家庭に育ちました。私は、ジョンの父である神学博士スミス・ハリス・ハイド氏とは、彼がイリノイ州カルセージの長老教会で牧会していた十七年間、親しくしていました。シカゴのヘリック・ジョンソン博士は永眠する少し前に、ハイド氏についてこう書いています。

2025年5月3日土曜日

オースティン・スパークス、『キリストの学校』、第八章 神の愛を支配する法

キリストの学校
T. オースティン スパークス著
The School of Christ by T. Austin-Sparks 

第八章 神の愛を支配する法

ヨハネ1章4節、2章3節、3章3節、4章13~14節、5章5~9節、6章33~35節、9章1~7節、11章1~6節、17節、21節、23節、25~26節。

この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。(ヨハネ1章4節)

ぶどう酒がなくなったとき、母がイエスに向かって「ぶどう酒がありません。」と言った。(ヨハネ2章3節)

イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」(ヨハネ3章3節)