2016年12月30日金曜日

神前有能[第2日]祈る人に

ウォッチマン・ニー
神前有能
第1部、だから、こう祈りなさい

第2日
祈る人に

『隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。』マタイ6:6

聖書の中の祈りはそう明なもので、愚かではありません。主イエス様が祈り方を教えるときに、初めに言われることばはこれです、『天にいます私たちの父よ。』主は、天におられる父に祈るよう教えていますが、私たちキリスト者は自分の部屋の中にいる神に向かって、祈っていることがよくあります。私たちの祈りは、天におられる父に聞いてもらうために捧げるものです。神は、信仰によって、祈りを天国まで送って欲しいと願っています。それは、私たちの思いが良い時も悪い時も、また、何の思いもないときでも同じです。部屋の中にいる神に向かって祈り、それを聞いてもらえると思っているなら、残念ながら、あなたは部屋の中にいながら、たくさんの奇妙な感覚、魔術的な体験、神の幻影を見るでしょう。これはすべてサタンが見せているものであり、サタンから来るものは、はっきり意識できることもあれば、気付かずに受け取ってしまうこともあります。

自分の部屋にいる神に祈らない人もいるでしょう。その人は、代わりに、祈っている相手に、その祈りを向けることがあります。これも、極めて危険なことです。2000マイル以上離れているところに住む友人がいるとしましょう。あなたは、その人のために祈り、例えばの話、その友人を御言葉で奮い立たせて欲しい、あるいは、救ってほしいと神に頼みます。あなたは祈りを神に向けているのではなく、自分の考え、自分の望み、そして、自分の願いだけに気持ちを向け、想念(魂のちから)としてその友人に送っているのです。その祈りは、あなたの考え、願望や望みを、友人に向けた矢として射る弓のようなものです。その思いの力は、友人への重圧となって、あなたが望んだ通りのことをするでしょう。あなたは、自分の祈りが聞き届けられたと思うかもしれない。しかし、言っておきますが、あなたの祈りに答えているのは神ではありません。神に祈っていないからです。それは、友人に向けた祈りへの答えに過ぎません。

ある者は、『私は友人のために祈りを積み重ねた、』こう言って、祈りが答えられるのは、そのおかげだと言い張っています。つまり、神に向かってではなく、相手の人に向かって祈ったからだと言うのです。あなたの祈りは答えられますが、答えるのは神ではありません。自分では催眠術を知らなくても、あなたが隠れてやったことは、催眠術の方法にのっとっていました。あなたは、これを行うために、まやかしの霊能力を解放していたのです。

なぜ、こうなのでしょう?あなたが、天におられる神に祈ったことがなく、あなたの祈りは、祈っている相手に向かって放たれ、積み上げられ、そして、取り囲んでいるからです。あなたは祈っているように見えますが、現実には、相手に、まやかしの力で重圧を与えているのです。あなたがもし、誰かのために祈る中で、魂の力を使えば、例えば、その相手が罰せられるように、とは言わないまでも、少なくとも鍛錬されるように祈ったとすれば、あなたの魂の力の祈りは相手に突き刺さり、その結果、相手は患ってしまいます。これは、はっきりした魂の法則です。火の中に指を突っ込めば、火傷してしまうのと同じくらい当然のことです。

ですから、相手が期待通りのことをしなかったら、罰してくださいと、求めるような祈りをするべきではありません。そのような祈りは相手に苦しみをもたらし、祈ったものは、苦悩の源ということになります。祈るなら、神に向かって祈るべきであって、人に向かってではありません。私自身もこのような祈りの悪影響を経験したことがあります。数年前のこと、私は一年以上、病いに臥せっていました。それは、5~6人の祈りが、私の上に積み重なっていたためでした。彼らが祈れば祈るほど、私は弱くなってゆきました。ついに、私はその原因をつきとめました。私はこの祈りに抗い始め、彼らが祈ってきたことから解放してくださいと、神に願いました。こうして、私は快復したのでした。

0 件のコメント: