2020年1月13日月曜日

【Daily Open Windows】1月13日

一月十三日

キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。(ローマ八・二)

私たちはよく、自然をつかさどる原理について語ります。自然の原理とは、なんでしょう?例として、栄養に関する原理を取りあげてみます。この原理を尊重して、忠実に従った生活をすれば、すなわち、適切な時間に、正確に必要なだけの栄養が身体に与えられれば、栄養の原理がこれをつかさどり、そして、非常に自然なかたちで、身体の発達、成長が行われて、この原理自体が身体全体に現れます。これは、そこに働いている自然の原理が行っていることです。あなたは、座り込んでこの原理のことを考えたりしないし、調べたり、思い悩んだりもしません。あなたがすることは、ただ自分で食物を摂って、後はこの原理に任せるだけです。この原理に従わなければ、その結果はすぐに現れますが、栄養の原理が示すとおり、正しく行動していれば、この原理のことを、朝から晩まで考え続ける必要などなく、ただ用意した食事を摂って、なすべき仕事を続けてゆけばいいことになります。こうするだけで、あなたは働き、生き続けることができます。必要な栄養を摂ったからです。


キリストにあるいのちの御霊の原理も、同じようなものです。それは、生き方の原理であって、この原理を尊重し、それに従えば、現実的なかたちで助けとなるものです。それは、定められた方向に向かって、自然に働きます。その結果は、とても自然なかたちで生じます。キリストにあるいのちの御霊の原理とは、それによって私たちが何かに気づく原理です。これが、もっともわかりやすい説明です。主イエスは、定められた時が来れば、ご自身はもう何をすることも、何を話すこともできなくなることをご存知でした。しかし、その時の主には、心をかき立てる御霊の動きも、それを行ういのちもなかったのです。主の霊の中で、いのちが動くことはなく、この原理は、何かをさせようと働きかけはしませんでした。しかし、何を話し、何を行わなくてはいけないのかを知っておられた御父も、その時がきたことを知りながらも、主の耳に顔を近づけて、よく聞こえる声で、『今がその時だ!こう言いなさい!あれをしなさい!』と、語りかけるはしなかったのです。御父はただ、主の心の内側をかき立てました。いのちの原理がある方向に向かって動き出し、心の内側を急かされたとき、主は、神の求めることが何であったかを知りました。これこそ、パウロがこの言葉で伝えたことです、『御霊による思いは、いのちです。』

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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