2020年1月21日火曜日

【Daily Open Windows】1月21日

一月二十一日


真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。(ヨハネ四・二十三)

イエス様は、女に向かって、言われました、『時が来ます。今がその時です。』それから、主は、その時まで存在していたあらゆる制度体系を退けてしまいます。それは、旧約聖書にのっとったユダヤ教の体系の全てでした。ただひとつの文章で、主は信じられていた全ての摂理を消し去りました。そして、主は、根底から変えられた新しい秩序をもたらしました。ここで主は何を言おうとしていたのでしょう?主が、時が来ようとしており、今がその時であると言われたとき、文字通り、何時何分という定まった時刻を示していたのではないことは明らかです。主が言われたのは、それが新しい日の初まりの時間だったということです。この時をもって、完全に新しい日が始まったのです。この新しい日とは何でしょう?イエス様に、短い文章で説明して欲しいと頼んだなら、主はこう言ったでしょう、『そうだね、私がここにいるということだ。』ここでいう時とは、特定の時間のことではなく、ある『人』のことなのです。新しい摂理とは、イエス・キリストの摂理です。キリストこそが新しい摂理です。『私はここにいる』と、主は言われました。ヨハネの福音書を読み通してみてください。主は、すべての中心にご自身を置かれます。『わたしは道です。わたしは真実です。わたしはいのちです。わたしは羊飼いです。わたしはぶどうの木です。わたしはよみがえりです。』その全てが一人の『人』を指しているのです。これがすべてを支えている事実です。キリスト教とは、キリストです。キリストがキリスト教です。これこそ、全てが始まるところであり、それが、主から離れることは決してありません。キリスト者の生活の成長とは、ひとえに、生活の中におけるイエス・キリストの広がりに他なりません。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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