2020年1月20日月曜日

【Daily Open Windows】1月20日

一月二十日


あなたがたはすでに死んでおり、あなたがたのいのちは、キリストとともに、神のうちに隠されてあるからです。(コロサイ三・三)

この時代、この神の摂理の中に生きるのは途方もなく大きなことです。この時代とは、主が、宇宙全体と全ての被造物に対する権利を持ちながらも、十字架によって、この宝に特別に力を注いでおられ、その宝を被造物から取り出そうとしている今、この時のことです。すなわち、『天の御国(このことばは、天の国々と複数形であるべきです)は、畑に隠された宝のようなものです。人はその宝を見つけると、それを隠します。・・・』


教会との関わりにおいて、主は隠れた働きをしています。自分たちが教会であると考えるものを、よく目立つところに置いて、誰でも集える公共物のようにすることには、常に大きな危険が伴います。本当の教会とは、知らていない隠れた集まりであり、そこでは、隠れた秘密の働きが進められています。それが、安全なやり方なのです。あなたと私が中心となって、大きな公けの運動を立ち上げ、示威的な行動や宣伝活動を広げようとすれば、そのとき、私たちは神のはたらきを晒しものにし、大きな危機に直面させることになります。私たちの安全は、神が私たちを置かれた場所を守ること、主ご自身と一緒に隠れた秘密の場所にとどまることにあります。・・・この全生涯を通じて、私たちが学ばなければならないのは変化、すなわち、神との関わりの中にありながらも結局、私たち自身にすぎないものから、私たちの中の神ご自身であるものへと変わることです。神との関わりの中にあっても自分自身でしかないものは、実に多くありますし、それは、ある程度は最後のときまで残るのだろうと、私は思っています。神のための働きにあってもなお、そこには、自分の心から来る何かが必ず入ってきます。自分では、それを神の思い、神の考え方であると信じていても、私たちの人間的な心、神から来るものと組み合わせて飾り立てた自分の思いが、たくさん残っています。そして、私たちは、神の御心がそこにはないことに繰り返し気づかされ、そのたびに、主がどのようなお方か、それまでの考えを新しい見方と置き換えることになります。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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