2020年1月18日土曜日

【Daily Open Windows】1月18日

一月十八日


今は、父よ、みそばで、わたしを栄光で輝かせてください。世界が存在する前に、ごいっしょにいて持っていましたあの栄光で輝かせてください。(ヨハネ十七・五)

主イエス様の心に、ご自身がかつて持っていた栄光に対する大きな切望と祈りがいつもあったことは、明らかだと思います。この節は、ヨハネが、このことにはっきりと触れている箇所ではないでしょうか。福音書の第十七章に、ヨハネは主イエス様のこの大いなる祈りを書き留めています、『父よ、世界が存在する前に、ごいっしょにいて持っていましたあの栄光で輝かせてください』(五節)。このことばが窓を開き、主イエス様が、永遠の昔から持っていたご自身の栄光を知っていたことを教えてくれます。主の心には、いつもこの事実があり、主はこのことをご存知でした――すばらしい考えです!――そして、かつて持っていた栄光をいつも心に抱いていたことが、主がその栄光に戻り、また、その栄光が主に戻ってくる日、その遠い日に向かって、主を祈らせていたのです。『父よ、世界が存在する前に、ごいっしょにいて持っていましたあの栄光で輝かせてください。』主の姿が変えられた変容の山は、主の心からの祈りと叫びと願いへの答え――少なくともその答えに触れるもの――となりました。かすかに触れただけでしたが、それは、主にとっては大きなこと、あなたがたのキリスト者としての生活の中でもほとんど知らないことのひとつとなりました。主が何かをされ――それが、すぐに消えて行っても――、そのことによって、あなたは、自分の声が聞かれたことを知ります。あなたは、御父の心には、今の欠乏と状況に対するあわれみがあることに気づくのです。その何かは、一日だけ、一晩、一時間、あるいは、ほんのしばらく続いて、すぐに消えてしまうかもしれません。それは、まだ道の終わりに達していないから、永遠の栄光が、まだ、来ていないからです。しかし、道の途中でこうして主が触れてくださることが、私たちを先へと推し進めてくれます。私たちは、主が聞いてくださったことを知っています。主がこの内なる叫びと願いに心を止められたこと、そして、ご自身のあわれみを示すしるしをくださったことも知っています。それはまるで――主イエス様にとっての――主ご自身の叫びへの答えのようでした。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

0 件のコメント: