2019年12月12日木曜日

スポルジョン、『もろびとこぞりて』、第十二日

もろびとこぞりて
―降臨節に向けた25章
チャールズ・H・スポルジョン

第十二日:よろこびは多すぎることはない

御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。」(ルカ2:10)

罪のよろこびは炎の泉で、その源は地獄の燃える土にあり、その火の水を飲む者を狂わせ、食い尽くします。そのような楽しみを、私たちは味わいたいと思いません。罪の中で幸せになることは、呪われるよりも悪いことです。罪の中で惨めさを感じることが、恵みの始まりだからです。神は私たちを汚れた平安と汚れたよろこびから救い出します!御降誕を知らせる御使いが告げたよろこびは、それが続く限り純粋なものであり、大きく聖いものです。ですから私たちは、キリストを信じることは、その信仰自体の中に大きなよろこびがあることを、いつも信じましょう。

私たちのよろこびが、主御自身が掘った聖なる井戸から流れる生きた水となりますように。主のよろこびが私たちの中に宿り、そのよろこびで満たされますように。キリストのよろこびは、もうこれ以上はいらないと言うことにはならず、主の愛がぶどう酒であるとすれば、多く受けすぎる心配はありません。ああ、この霊的なよろこびの聖い流れに浸ることができるとは!

もし、御使いが救い主だったと考えてみれば、このよろこびの大きさが分かります。その救い主には、私やあなたの罪の重荷を荷うことはできなかったでしょう。もし、私たちの救いの土台として、神に劣る何かが備えられていたら、それはあまりに脆弱な基盤だったことでしょう。しかし、人の救済という働きを引き受ける方が、永遠にして全能なる神御自身であれば、私たちの罪悪の重荷を、その両肩が荷ってくださり、人の救いという壮大な仕事は、この働き手によって、容易く成しとげられるのです。神には、どんなことでもでき、そして、御許に来る全ての者をご自身だけで救うことができるからです。

見てください!これこそ、あなたがよろこぶべき真実です。あなたを造られた神、そして、あなたがかつては敵対した神は、天から降りて来られ、あなたを救うために、あなたと同じ人としての性質をその身に引き受けました。あなたを贖うために、主は、満ち満ちたご栄光と限りない慈しみの中に来られました。あなたはこの知らせを喜ばないのですか?本当に!あなたの心はこのことに感謝しないのですか?この比類なき愛に感謝する気持ちが起こりませんか?この聖なる救い主がいなかったら、地上でのあなたの生活は惨めなものとなり、将来に渡っても、あなたの存在そのものは終わりのない苦難となっていたはずです。

ああ、あなたが受肉した神を褒めたたえ、この方に信頼するように祈ります。そうすれば、あなたは、やがて来る御怒りから私たちを救い出してくださる主に感謝し、そして、あなたがイエス様を掴んで、御名のうちに救いを見いだすとき、あなたは自分の歌声を主の賛美に合わせ、聖らかなよろこびに震えることでしょう。

出典:Joy born at Bethlehem(1871年12月24日に語られた説教)

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