2019年12月13日金曜日

スポルジョン、『もろびとこぞりて』、第十三日

もろびとこぞりて
―降臨節に向けた25章
チャールズ・H・スポルジョン

第十三日:真のよろこびのしるし

あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。(ルカ2:12)

この世によろこびが訪れたしるしです――数人が、飼葉おけの中のキリストを見つけ、この方こそがしるしであると聞かされています。すなわち、一人一人が、何かを教えてもらう状況に置かれています。彼らは、みどりごが、『布にくるまれている』ところを見ました。この赤子のどこにも、この世的な力の兆候すら見られません。小さな赤子の二つの弱々しい腕(arm)ときたら、自分で動かすこともできません。ああ、地上の国々は、軍事力の中によろこびを見いだします。武器(arm)を集めて強大になることが、国家の誇りとなっているのではないでしょうか?自分の国が、他の誰よりも速く人を殺せることを思うとき、愛国者はそれを誇って頬を赤らめるのでしょうか?

ああ、愚かな世代よ、あなたは天国を求めて、地獄の炎の中を這いまわり、血と骨のあいだで、自分では栄光と呼ぶ汚れたものを探しています。国家のよろこびは、他者の不幸の中にあってはならないのです。殺戮は、繁栄への道ではなく、巨大な軍備は、その国自体にとっても、近隣にとっても呪いです。国のよろこびとは、その上に血の流れが刻まれたことのない黄金の砂です。それは、神の都を喜ばせる水が流れる川の中にしかありません。穏やかに従う弱さこそが真の力なのです。イエス様は、永遠の王国を強さではなく、愛の上に築きます。皆さん、ここにあなたがたの希望があるのです。優しい平和の君、その栄光は自己犠牲にあります。主は私たちを真に支えてくれるお方です。

富もまたベツレヘムにはなかったのです。この静かな島(英国)では、大多数の人々は、商売や製造業で、楽に数千ポンドのお金を手に入れようと求めています。しかし、ベツレヘムに置かれた世界の希望である揺りかごの中に富などなく、貧しさだけが目につきます。金のきらめきも、銀の装飾も見えません。私が見ているのは、ただ貧しい赤子、とても貧しく、あまりに貧しくて、飼い葉おけに寝かされています、そして、彼のお母さんは大工の妻、絹も宝石も身につけていない女です。

あなたのよろこびは、お金の中ではなく、全ての階級が享受する福音、自由に述べ伝えられ、歓喜をもって受け取られる福音の中にあります。イエス様は、私たちを霊的な富へと育てて、マモン(不正の富)の鎖から贖いだし、その解放の中によろこびを与えてくださいます。

出典:Joy born at Bethlehem(1871年12月24日に語られた説教)

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