2019年12月18日水曜日

スポルジョン、『もろびとこぞりて』、第十八日

もろびとこぞりて―降臨節に向けた25章
チャールズ・H・スポルジョン

第十八日:賢者たち

イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」

彼らは王の言ったことを聞いて出かけた。すると、見よ、東方で見た星が彼らを先導し、ついに幼子のおられる所まで進んで行き、その上にとどまった。その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。そしてその家にはいって、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。(マタイ2:1-2、9-11)

東方の博士たちは、その星を拝み、他の星と比べ、その星が現れた正確な日付、瞬いた回数、動いた時間といったことを記録に留めるだけでは満足せず、星が教えることを現実に用いました。

神のしもべたちの聞き手、崇拝者はたくさんいても、彼らは、説教を受け止めて、適切に用いる知恵を持っていません。彼らは説教者の話すことばのおかしなところばかりに気づき、説教者が咳をしすぎる、こもったような話し方する、声が大きすぎる、小さすぎる、ことばに訛りがある、話し方がざっくばらん過ぎて下品な感じさえする、あるいは、逆に、口調があまりに飾り立てすぎていると言ったことばかりが気にかかります。この愚かさは、私たちがたましいの救いのために労苦している人々に、いつも見られるものです。彼らは滅びに向かっているのに、このような些細な事柄にばかりこだわっています。

こんなことは愚かな者の楽しみです。しかし、東方の博士たちは、賢く、それゆえ、現実的な人たちでした。彼らは、星を眺め、すばらしい星を崇めるだけで終わることなく、こう言いました、『ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。』彼らは、新しく生まれた王の出現を星に知らされて、その王を見つけるためにすぐに出発しました。愛する聴衆の皆さん、あなたがたにもこの同じ賢さを持っていただきたいと願います!私は、今までに話されたもっとも立派な説教を説くよりも、誰も語ったことがないほど退屈な説教を語るほうを選びます。拙い説教をすることによって、あなたがたを私自身から引き離して、主イエス・キリストを求めるように導けるならです。

これが、私がいつも心にかけていることです。あなたも、主と主人のことを尋ねて、私は喜ばせてくれませんか?あなたのこんな言葉を私は待ち焦がれています、『この男は何を言っているんだ?彼は、救い主のことを話し、私たちも、この救い主を受けると言っている。彼は、キリストの血による赦しについて話している。神が人間の中に降りてきて、人間を救うなどと言っている。この赦しが現実なのか、この救いの中に真実があるのか、いずれ分かるだろう。私たちはイエスを求め、イエスの中に積み上がっていると伝えられる祝福を自分で見つけよう。』あなたたちがこう言うのを聞いたら、私は喜んで、すぐに死んでもいいと思うでしょう。

博士たちが賢かったのは――あなたにも、彼らに習ってほしいと思います――その子供を見て拝んだからです。ここでは、彼らの好奇心が満たされたのではなく、心からの献身がなされたのです。

あの家に入って拝んでください!説教者のことなど忘れてください。あの星の光を、他の人たちの目にも輝かせましょう。イエス様が生まれたのは、あなたが新しく生まれるためです。イエス様が生きたのは、あなたが生きるためです。イエス様が死んだのは、あなたが罪に死ぬためです。主はよみがえり、神に背いた者たちが、主を通して和解できるように、今日もとりなしをしています。ここに来て、信じ、ゆだね、よろこび、讃えてください!金も乳香も没薬も無くても、あなたの信仰、愛、悔いあらためを持ってきて、御子の前にひれ伏し、心からの崇拝を捧げてください。

出典:The star and the wise men(1882年12月24日に語られた説教)

0 件のコメント: