2019年12月25日水曜日

スポルジョン、『もろびとこぞりて』、第二十五日

もろびとこぞりて―降臨節に向けた25章
チャールズ・H・スポルジョン

第二十五日:イエス

兄弟姉妹の皆さん、説教の代わりに、私の証しをさせてください。私が見てきたこと、この耳が聞いてきたこと、私の心が味わってきたこと――キリストが御父のひとり子であるということの証しです。

世にとっては人間であろうと、私にとって主は神です。神以外の誰にもできないことを、主は私にしてくれました。主は、私の強情な意思を変え、かたくなな心を溶かし、鋼鉄の鎖を断ち切り、真ちゅうの門を開き、そして、鉄の棒を砕きました。主は、私の嘆きを笑いに、私の絶望をよろこびに変えました。主は、私をしっかりと捕えて、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどる心を与えてくれました。他の人たちがどう思おうとも、私にとって、主が御父のひとり子であることは間違いありません。御名がほめたたえられますように。恵みに満ちた手を、あらためて証しします。ああ、もし主がいなかったら、私は神の栄光を見ることはなかったでしょう。私は罪であふれていました。主を信じなかった私は、罪を背負ったものでした。主は拒んでいた私を引き寄せ、必死で抗った私を導き続けました。そして、ついに私が、判決を受けた犯人のように、震えながら主の憐れみの座に着けられたとき、主は言われました、『あなたのの多くの罪は赦されています。安心して行きなさい。』

『主は・・・・、私を滅びの穴から、泥沼から、引き上げてくださった。そして私の足を巌の上に置き、私の歩みを確かにされた。主は、私の口に、新しい歌、われらの神への賛美を授けられた(詩篇40:1-3)。』人が主を蔑んでも、主が恵みに満ちていることを私は証しします。ああ、キリストが、どれだけの恵みに満ちているか、忘れないでください。

恵みで満ちている主には、真理も満ちています。主の約束は真実であり、かなえられなかったものはひとつもありません。恥ずかしいことに、かつての私は主を疑っていましたが、主は私の期待を裏切ったことはなく、私にはよろこびしかありません。主の約束は真であり、アーメンでした。私は、キリストを信じるすべての者たちの証しを伝えますが、より力強い証しにしたいので、個人的なことだけを語っています。私の証しとは次のようなものです。すなわち、どのようなしもべもこの主人のようなお方に仕えたことはなく、どのような兄弟も私にとっての主のような家族を持ったことはなく、どのな夫婦にも私のたましいに対するキリストのような夫はおらず、罪人に主以上の救い主などおらず、兵隊に主よりも良い上官はあり得ず、喪に服す者に私の霊に対するキリストのような慰め手はいません。

私は、主の他に誰も欲しくありません。生においては、主が私のいのちであり、死にあっては、主が死の中の死となります。貧しさの中で、キリストが富であり、病にあっては主は私たちの寝床を整え、暗闇の中で主が星であり、光の中では、主は私たちの太陽です。

出典:The glory of Christ beheld(1861年10月20日に語られた説教)

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