2019年12月19日木曜日

スポルジョン、『もろびとこぞりて』、第十九日

もろびとこぞりて―降臨節に向けた25章
チャールズ・H・スポルジョン

第十九日:恐れる日々は終わった

さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。」(ルカ2:8-10)

主の使いが羊飼いたちのもとに現れ、主の栄光が回りを照らしたとき、彼らは恐ろしくなりました。人間は神を恐れていたので、神が大きなよろこびの知らせを運ぶ愛の使者を送ったのに、人間たちは、死の使いが剣を振り上げて現れたかのような恐怖で満たされることになりました。

夜の静けさと気の滅入るような闇は、羊飼いたちの心に恐怖を起こしませんでしたが、恵みの栄光を身にまとって空からの来たよろこびの使者は、彼らを恐れさせました。この羊飼いたちが、格別に臆病で無知であったかのように非難してはいけません。同じ状況に置かれたら、この時代の人なら誰もが、彼らと同じことをしたでしょう。おろかな羊飼いだったから、恐怖におののいたわけではなく、高い教育を受けた預言者であっても、同じ感情を現したのではないかと思います。聖書の中には、それぞれの時代のもっとも優れた人たちが、神の特別なしるしが現れたとき、大きな暗闇の恐怖を感じて震えたという例が、たくさん記録されているからです。

そよ風の吹くころ、園を歩き回る神である主の声を聞いたとき、アダムは神である主の御顔を避けて、園の木のあいだに身を隠しました(創世記3:8-10)。罪は、私たちの誰をも惨めな臆病者に変えてしまいます。かつては、造り主と楽しく会話することのできた男が、今は、造り主の声を恐れ、自分が悪いことを知って取締官に会うことを恐れている重罪人のように、木のあいだに身を隠しています。

愛する皆さん、人間の胸中から奴隷の恐怖という悪夢を取り除くことを目的として、この悪夢の恐ろしい影がたましいのもっとも気高い願望を抑え込んでいるこの地上へと、主イエス・キリストは、肉体を持って降りて来られました。この恐怖は、主がそれを滅ぼすために現れた、悪魔の働きのひとつです。御使いたちは、受肉した神の降誕という良い知らせを告げ知らせるために訪れました。そして、彼らの歌の第一声こそ、地上に来られた主を受け入れるすべての人々が味わう甘美な結果の前ぶれでした。

御使いは言いました、『恐れることはありません。』恐怖のときは終わって、希望と喜びの日々が来たかのようです。『恐れることはありません。』この言葉は、震えている羊飼いたちだけにかけられたのではなく、あなたや私に、そして、よろこびの知らせが訪れようとしているすべての国々に向けられたものです。『恐れることはありません。』神を、奴隷のような恐れの対象とすることは、もうやめましょう!これからは、神から離れようとしてはいけません。神のことばは肉になりました。神が幕屋に降りてきて、人間たちのあいだに住まわれたのは、人間と神を隔てる火の壁、大きく深いみぞを消し去るためでした。

出典:God incarnate, the end of fear(1866年12月23日に語られた説教)

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