2019年12月15日日曜日

スポルジョン、『もろびとこぞりて』、第十五日

もろびとこぞりて―降臨節に向けた25章
チャールズ・H・スポルジョン

第十五日:いと高き所に、栄光があるように

すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現われて、神を賛美して言った。「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」(ルカ2:13-14)

この御使いの歌の前半部分から学ぶべき教訓とは何でしょう?それは、救いが神にとって、最高の栄光であるということです。

神は、朝日にきらめく一滴一滴の朝露の中で栄光を受けます。雑木林に咲く全ての木の花が、誰に見られずに咲き、その甘い香りも森林の空気の中に消えてしまっても、神はそこで讃えられます。神は、水しぶきにさえずる全ての鳥、牧草地を駆けるすべての小羊の中に栄光を受けます。海の魚は主を崇めないでしょうか?小魚から怪物のような大魚まで、水中を泳ぐすべての生き物は、主の御名を祝福し、賛美しないでしょうか?全ての被造物が主を崇めないでしょうか?空の下には、人間を除いて、主を讃えないものがあるでしょうか?

星々は、神の御名を天の蒼穹に金の文字で描くとき、神を讃えないでしょうか?稲光が輝いて、光の矢で夜の暗闇を切り裂くとき、神を崇めないでしょうか?雷は、神の軍隊が行進するときの太鼓のようにとどろきながら、神を讃えないでしょうか?もっとも小さいものから、もっとも大きなものまで、すべてのものが神を崇めないでしょうか?しかし、歌え、歌え、おお、宇宙よ、あなたが燃え尽きるまで、主の受肉の歌ほど甘い歌は他にはない。創造は、壮言な賛美を奏でるオルガンではあっても、それは黄金の賛歌が響く場所、すなわち、主の受肉には届きません。

見よ!何という知恵でしょうか。神は、ご自身が正しくあり、不義のものを義とするために、人間となられたのです。

見よ!何という力、人から隠さなければならないほど大きな力が、他にあるでしょうか?何と言う力でしょう、神なるものが、それを脱ぎ捨てて、人間になるとは!

見なさい。イエスが人間になられたとき、私たちに示されたのはなんという愛でしょう。見なさい、この誠実さを!この時代、どれだけの約束が守られているでしょう?この時間、どれだけの厳粛な義務が果たされたでしょうか?

イエス様の中に現されなかった神の性質がひとつでもあれば教えてください。もしあれば、それが見えなかったのは、あなたが知らなかったからです。神の全てがキリストの中に讃えられています。そして、神の御名のある部分は宇宙に書かれてはいても、もっともよく書かれているのは、人の子でありながら、神の子である主の中――ここです

出典:Joy born at Bethlehem(1871年12月24日に語られた説教)

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