チャールズ・H・スポルジョン
第十七日:星が伝えることば
イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」(マタイ2:1-2)
人間が福音を述べ伝えることができなければ、神は星によっても、たましいを御子のもとへ導くことができます。ああ、星に限らず、石、鳥、草の葉、露の一滴でもいいのです。
ですから、ある聖職者が福音を述べ伝えることをやめたとか、誰かが神の真理に対抗しているいると聞いても、絶望してはいけません。その背教は、彼ら自身の損失に過ぎず、イエス様や教会を傷つけることはありません。そして、消えていく聖所の灯りを見ることは寂しいことではあっても、神は人間の灯す明かりに頼ることはありません。神ご自身が聖なる場所の灯りなのです。神の言葉を述べ伝えることを拒めば、人間の舌が用いられる場所は、せせらぎの書物と、石に語る説教の他にはありません。まことに、梁は石垣から叫び、材木がこれに答えるというようになります。
祭司長や律法学者たちが皆、道を踏み外してしまったとき、主が星々に役目を与えて、再び、天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせます(詩篇19:1)。受肉した神を告げ知らせる語り手がいなくなれば、直ちに、山と丘が、力強く語ることを学んで、証しをし始めます。
神が伝えることばは、地の果てまでも知らされます。神はご自身の民を救われます。神のはかりごとは成就し、神はご自身が望むことをすべて成し遂げます。ハレルヤ!
星が告げるのは、すべてキリストに関することです。私たちには、星がどんな色をしていたのか、星の形も、どのくらいの明るさだったのかも分かりません。どこにも記録されていないからです。しかし、記録されていることの方がずっと大切です。賢者たちが言いました――『私たちは、その方の星を見ました。』民をイエス様へと導くために主が用いる星は、キリストご自身の星であるはずです。誠実な聖職者は、この星のように、キリストに帰属するものです。その人がキリスト自身のものであることに間違いはありません。
その星から出る光は全て、イエス様に向かっていました。それは、いつも主の星であり、主だけの星であり、完全に主の星でした。この星は、それ自身のためではなく、主の星としてのみ輝いていました。
出典:The star and the wise men(1882年12月24日に語られた説教)
1 件のコメント:
(訳注)いろんなものから、(言葉じりを微妙に変えたかたちで)引用されてます。出典を記しておきます。
『お気に召すまま』、シェイクスピア
俗世を遠く離れたここでのわれらの日々は、
樹々に声を聞き、せせらぎを書物とし、
石に尊い教えを、森羅万象に善を見出すもの。
And this our life, exempt from public haunt,
Finds tongues in trees, books in the running brooks,
Sermons in stones, and good in everything.
ハバクク2:11
まことに、石は石垣から叫び、梁は家からこれに答える。
For the stone shall cry out of the wall, and the beam out of the timber shall answer it.
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