2020年3月11日水曜日

【Daily Open Windows】3月11日

三月十一日

それは、父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。(ヨハネ十七・二十一)

では、キリストと一つになるとは、どういうことでしょう?それは、新しい創造、新しく創造された人として、主とひとつになること、すなわち、いのちの御霊によって新しく創造された生命である主のいのちの中でけるで主とひとつになるということです。・・・・ひとつになることの、意味とは何でしょう?それは、こうしてひとつになることによって、はじめて、神の働きが成しとげられるということです。御父との関係において、主を支配したものが、私たちをも支配します。この主との一致を土台としていなければ、成しとげられることは、何ひとつありません。どれだけ良い動機からであっても、これは、行動の問題ではないし、神の働きを引き受けるという問題でもありません。


あることが、私たちの目から見て、主の栄光のために、必要があると考えたとしても、それは主への奉仕であるという基準とはなりません。何かが目の前に示され、これは神のために行うべきである、今すぐ、実行する必要があると決め付けてしまうと、そこで人は、正直で真剣ではあるが、非常に単純な自分なりの心の判断を行って、多くのことをやり始めます。例として、何か悲劇的な状況に陥ると、そこで、行動を求められます。私たちには、その状況に対処する手立てがあり、主のためにそれを用い始めます。このようにして、このような考え方に立って、実に多岐にわたる働きが、こうして始められてきたわけですが、この章で主イエス様は、『これは違う!そうではない!』と言われています。目の前の状況から、何かが明らかに要求されても、主はそれによって動くことはありません。人を何かの働きに召すとき、それが御自身にどう影響するかということは、主の行動を一切、左右しません。主にとっては、神が何をしているか、ある特定の時間に何をしているかということが問題です。同じ目的を果たすために、神は、その時ごとに異なったことをし、また、場合に応じて、まったく違うところとに力を入れます。そして、キリストと本当にひとつになっている人たちは、その時々に、キリストご自身が手を下している働き、ご自身を捧げている働きに。自分も支配されなければなりません。すなわち、『・・・父がなさることは何でも、子も同様に行なうのです。』それは神が何をしているかという問題であり、また、それを実現するために、自分は、キリストにあって、神とひとつにつながっているかという問題です。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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