2020年3月20日金曜日

【Daily Open Windows】3月20日

三月二十日

耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。(黙示録三・二十二)

私たちの時代の際立った特徴とは、明確なことばを伝える声があまりに少ないことです。この時代のための権威ある明確なことばが聞こえないことは、痛々しいほどです。・・・なぜ、こうなのでしょう?主から務めを与えられたかもしれない者たちの多くが、この世的な制度に、完全に取り込まれてしまったことが原因ではないでしょうか?それは、説教者を、完全に職業としてしまう制度であり、この制度があるために、説教は、需要と供給の問題に換えられて、人の手で作られた宗教的な秩序と行事で語られるためのものとされています。これは、説教だけの問題ではなく、制度化された形式となっている今日の『キリスト教』の組織と活動の全体に言えることです。自由に、なにものにも縛られずに語ることができないのは、『主のことばを語る重荷』が預言者に課せられているとき、あるいは、預言者が、『主の御手が私の上にあった』と言えたときに限られます。現在の秩序は、人がいつも語り続けることを求めます。これは、その人が何かを手に入れなければならないからであり、その必要があるのは、神とは私たちが考えた儀式を捧げて、それに応えるように求める存在である(これは神が決してされないことです)とか、あるいは、説教者は何度なく繰り返される状況に対して何かを作り続けなければならないと考えられているからです。これは大きな害をもたらす制度であり、神ではなく人間から来る、危険で卑劣な侵入者がいくらでも入り込む扉を開いてしまいます。こうして入り込むことのもっとも深刻な面とは、それによって、声、声、声、混乱させる声がいたるところに響き、その声は、神が、この時のために特別に発する声とは全く違うということです。・・・


私たちは、神が言わなければならないことに対して、目を覚ます必要があります。黙示録では、これは、『耳のある者は聞きなさい』ということばで表され、ラオデキヤに対しては――これは終わりを表す教会です――『目が見えるようになるため、目に塗る目薬を買いなさい』と告げられています。『そこで私は、私に語りかける声を見ようとして振り向いた』と、ヨハネは言いました。神は語っておられ、何かを伝えようとしているのですが、そこでは、『神を知るための知恵と啓示の御霊、はっきり見えるようになったあなたがたの心の目』がなければなりません。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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