2020年3月18日水曜日

【Daily Open Windows】3月18日

三月十八日

しばらくして、もう一度、わたしは天と地と、海と陸とを揺り動かす。わたしは、すべての国々を揺り動かす。すべての国々の宝物がもたらされ、わたしはこの宮を栄光で満たす。(ハガイ二・六、七)

それは、考えるだけでも恐ろしいことに思えます。しかし、『キリスト教』と呼ばれるもののあまりにも多くの面に触れてしまった今、私たちはこう信じざるをえません。すなわち、自分をキリスト教徒と呼ぶ膨大な数の人々が、完全に間違った側に立っており、そして、この制度自体の多くの部分が、あまりにこの世的、伝統的、形式的で、霊的ではないものとなってしまったため、今、世界全体を揺り動かすことが、絶対に必要であり、そのことは、いつの日か、正当化されるはずです。学術論文を書いているのなら、『キリスト教』と呼ばれるものが、まさしくキリストの最大の敵であることを示すことができたしょう。


ただ、別のもっとよい制度ができて、古くて貧しい、または、悪い制度を置き換えればよいという問題ではないことが、いずれ分かってくると思います。こう考える人たちもいるようです。すなわち、それは全面的に、あるいは、大いに、秩序、手法、そして、形式の問題であって、私たちが、『新約聖書』という形式、または、教会の秩序に戻れば、それですべてがよくなる、と。事実はどうかといえば、新約聖書の教会を特徴付けるものも存在するとはいえ、何か、完璧な様式が新約聖書の中に示されていて、それに従えば、教会を立ち上げ、成立させられるようにはなっていません!新約聖書には、教会の青写真などというものはなく、新約聖書に沿った教会を形成しようと試みても、すでにどこかにある律法的で、偏狭な死んだ制度を新たに作りだすだけのことです。この世の教会は、主の教会と同じように、主なるいのちから生まれ出る有機体であり、その主なるいのち自体は、キリストの十字架から生まれて、信者たちの存在の中へと働くものです。信者たちが、十字架にかけられた人たちでなければ、主の教会とは何かという真実を表すこともできません。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

0 件のコメント: