2020年3月2日月曜日

【Daily Open Windows】3月2日

三月二日

神は私たちを救い、また、聖なる招きをもって召してくださいましたが、それは私たちの働きによるのではなく、ご自身の計画と恵みとによるのです。(第二テモテ一・九)

主イエス様はただ、人の救済者、人の取り分の守り手として、この世界に来られたのではありません。私たちは、主の贖いがこの宇宙でもっとも偉大なものであること、神の全ての関心は贖いにあること、そして、私たちの心がただ贖いだけに占められているべきであることを、強く示していただいて、これを信じるように導かれなければなりません。贖いとは、とても大きなことです。その大きさは、どれだけ誇張してもしすぎることはありませんし、私たちが、いつか贖いの偉大さを本当に知る日が来るのか、私には分かりません。そして、その広がり、その深さ、そのための代償において、贖いはあれほど大きくありながら、贖いとは、永遠なる目的から派生するものに過ぎません。キリストには、自分に託されたものを救済すべき、最善のときに来られました。その意味で、もちろん、人間は救済されていますが、そこにあるのは、それよりもずっと大きな何かです。それは、何よりもまず御子に関わるものであり、そして、主の民が正しい態度、正しい視点を持つ者となるまで、すなわち、神の完全で最終的な関心ごとはその全てが神の御子を中心としていることを理解できるまで、主の民といえども、神が備えられたものと足並みをそろえているとは言えないのです。私たちの思いが、自分だけに――すなわち、贖い、聖化、賛美といったものに――向けられている限り、あるいは、御子ご自身よりも小さなものに向けられている限り、私たちは、ご自身の働きを成し遂げるために神が与えられる原動力を受けておらず、そのため、次のことが必要になります。すなわち、聖霊が働くための十分で最良の土台として、心の中に、イエス・キリストの啓示がなければなりません。神の全ての活力が解き放たれて、有効に用いられることは、私たちと主のつながりの中で初めて可能となり、また、これこそ、神が主を送られた目的だからです。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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