2020年3月23日月曜日

【Daily Open Windows】3月23日


三月二十三日

キリストがすべてであり、すべてのうちにおられるのです。(コロサイ三・十一)

愛する皆さん、十字架が立てられた目的は、ただ、私たちにとって、主イエス様がすべてとなり、すべてのうちにおられるようになることでした。そして、主が私たちに手を差し伸べ、十字架を用いて、私たちを死と墓につぎ合わせたがゆえに、今、私たちは、それまで知らなかったかたちで主を知っているのではないでしょうか?主が私たちにとって、今ある姿となり、心の中でますます大切なものとなってゆくのは、その時、主がされたことのゆえではないでしょうか?主イエス様が、私たちの中で、また、私たちにとって、盛んになっていくのは十字架の道のゆえです。自分の最大の敵は自分自身、自分の肉であることを、私たちは非常によく知っています。この肉は、私たちに安らぎも、平和も、満足も与えてくれません。その中に、喜びはありません。それは、私たちにまとわりつき、いつも離れず、そして、私たちの前をひっきりなしに遮っては、生きる喜びを奪おうとします。これに対して、どう対処するのがいいでしょう?そう、十字架の中で、そして、十字架によって、私たちは自分から解放されます。罪だけではなく、私たち自身からです。そして、自分自身から解放されるとき、私たちは、キリストへと解放されるのであり、この時、キリストが自分の自我より、はるかに大きなものとなります。それは、苦しみに満ちた道筋ではありますが、その結末は祝福されたものです。そして、私たちの中で、このように生きたがゆえに最大の苦悩を味わった者が、こう証ししてくれるはずです。主イエス様の知識と豊かさからもたらされたものが、すべての苦しみを、価値のあるものとしてくれた、と。ですから、私たちのための主の働きと、私たちの中における主の働きは、十字架によるのであり、神の考えの中で、それは、主イエス様の入る場所を備えることだけを目的としています。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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