2020年3月4日水曜日

【Daily Open Windows】3月4日

三月四日

彼が見つめていると、すっかり直り、すべてのものがはっきり見えるようになった。(マルコ八・二十五

愛する友よ、あなたと私が、ひとりの人間として、また、何か主の民の集まりに属しているなら、その集まりが、キリストにあって、神の完全で究極的な目標に向かって進んで行けるのは、ただ、イエス・キリストの霊的な絵姿を見ている場合だけです。絵姿は、前に進むために不可欠なものです。『絵姿』という言葉を、私は使い続けなければいけないでしょうか?ここで考えているのは、あなたがたの肉の目に見える実在の何かのことではありません。それは、あなたの内側で起こった何ごとかであり、あなたの内なる霊の目が、そこで開かれたのです。あなたは、こう言えるようになります、『私は「見た」のであり、それが、人生に大変化をもたらした。見たことで、私はしっかりと立ち上がった。それが、私に進むべき道を示した。それが、生活の原動力となり、自分自身ではなく、見たことが、私を前に進めている。』そう、このようなに行われることを、神に感謝しましょう。


私は、自分たちの責任の側面や要素については知っています。しかし、全てのことが、私たちの責任として課せられ、自分で行うしかないとしたら、神に助けを求めるしかありません!正直に言いますと――あるいは、あなたもすでに経験されたか、今、経験していることの説明となるかもしれませんが――もう何度も何度も、私は競争を投げ出しそうになりました。こう告白するのはつらいことです!本当に何度も、心の中では、あきらめてしまったことがありました。あまりにも状況が厳しく、先に進むことができなかったため、あきらめたのです。そこで、私を進むことを可能にしたのは、自分の粘り強さではなく、あの使徒が、『私たちのうちに働く力』と呼ぶものでした。それは何でしょう?聖霊が原動力を注ぎこみ、そして、私たちは見たのです。見なかったように装うことなど、できません!もう、元には戻れません。目に映ったものは消えてゆき、また、暗闇と苦しみの日々の中、覆い隠されてしまうことさえあります。パウロがこう言ったときの心の内を、私たちも知ることになるかもしれません、『私たちは、非常に激しい、耐えられないほどの圧迫を受け、ついにいのちさえも危くなりました』(第二コリント一・八)。あらゆる使徒の中で、もっとも偉大なものが口にするには、実に恐ろしいことばです!何が起こったのでしょう?パウロは、あきらめて、こう言ったでしょうか、『だめだ、もうこれ以上は進めない!』と?いえ、決してそんなことは言っていません!『私たちのうちに働く力』が彼を支え、何度、倒れても立ち上がらせました。エリヤが、えにしだの木を探して、こう言ったときはどうでしょう、『私のいのちを取ってください!』主は、そうしようとは思われません。主は、ご自身の偉大で永遠なる目的を与えて、エリアを再び立ち上がらせました。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

0 件のコメント: