2020年3月26日木曜日

【Daily Open Windows】3月26日

三月二十六日

わたしはまことのぶどうの木です。(ヨハネ十五・一)

まことのぶどうの木は、それが存在するただひとつの目的を果たします。イエス様は、ここで、ぶどうの木を使った説明をご自身と教会との関係に重ね合わせており、主イエス様の性質がどのようなものかは、ここで完全に明らかにされています。主は、すべての人に手を差し伸べ、全世界を受け入れてくれます。主は、あらゆる国の人々に、ご自身の心に入るよう求めています。主は、あらゆる国の人間を心にとめておられるのであって、ひとつの国だけではありません。主は、弟子たちに言われました、『それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい』(マタイ二十八・十九)と。こうされることこそ、イエス様の本質です。排他的であったり、小さく狭い心を持ち、自分のことしか頭にないという性質は、主の中にはまったくありません。・・・しかし、この事実を客観的に捉えておくことは、非常に良いことです。この性質が、私たち一人ひとりの中に下って来なければなりません。あなたや私の中に、キリストがいることの証拠は何でしょう?キリストが私たちの中にいることは、どうすれば分かるでしょうか?それを知る道はただひとつです――他の人たちが私たちを通じて主のいのちを受け取っていること、私たちが主のいのちを他の人たちに与えていること、飢えた貧しい人たちが私たちと触れ合うとき、主のいのちの感触を感じることです。表現の仕方は、いろいろありますが、結局はこういうことです、『あの男、あの女には、私が持ったことがない何かがあり、それこそ、私が求めているものだ。彼らについて、私には強く感じるところがあり、これこそ、私が本当に必要なものではないか。』一人ひとりのキリスト者がこうでなければならないというのは、私たちの中にキリストがおられて、私たちを通してご自身を拡げ、また、私たちを通してご自身のいのちを与えておられるからこそです。


ああ、どうか、愛する友よ、毎日、目を覚ましたら、こう祈ってください、『主よ、私を今日、あなたのいのちを誰かに届ける管としてください。主よ、あなたご自身のいのちを、私を通して今日、誰かにお与えください。私の行くところどこにも、主のいのちをもたらすことができますように。』あなたに対しても、私に対しても、主には他の目的はいっさいありません。私たちは、いろいろなことをしようと試みますが、このぶどうの木につながっていれば、必ず、実を結ぶはずであり、これこそ、人々に主のいのちを運ぶということです。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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