2020年3月27日金曜日

【Daily Open Windows】3月27日

三月二十七日

もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。(ガラテヤ五・二十五)

キリスト教と呼ばれるものは、本質的には霊的なものであって、この世の秩序とか制度をさすのではなく、そして、その構成要素はひとつひとつが霊的な経路から、主にあるいのちと啓示という道を通って入ってこなければなりません。偽物と、主のいのちは、あらゆる面で完全に違っています。ああ、何かを外から客観的な気持ちで見ることと、主のいのちにあってその中に入ることの違いは、あまりに大きなものです!本物の驚異、栄光、生命力、活力、力が見られるのは、このいのちの中だけです。


あなたはおそらく、何年にも渡って、神の御言葉によって、神の御言葉にあるとおりに、いろいろなことを語ってきて、その御言葉を信じ、真実として伝えてきたのですが、何年もそうしてきた後で突然、その御言葉が本当に意味していたものに気づき、全てがまったく違うものに見えてきました。それまで語ってきたこと、述べ伝え、信じてきたことは、すべて真実であり、完全に正しく、教義に照らし合わせても正確なものであったはずですが、それが何の役に立っていたのでしょう?それが今、こうして砕け散って、まったく違うものに見えるようになり、そして、そのことによって、本物の喜びと楽しみ、いのちと高揚感がもたらされました。これこそ、主にあるいのちによって、また、主の啓示によって、新しい場所へ入ることの意味です。言葉を換えれば、それは、聖霊によって新しいものの中に入り、見ることです。・・・

私たちがこの意味で霊的になり、聖霊が生活を支配する現実となっていれば、そして、御霊によって歩いているならば、必然的にあらゆる神の考えの中へと、私たちは入っていくはずです。主は、民が御自身の考えの中に完全に入ることを望んでいます。それは、民が、外的な秩序に支配されることをやめて、聖霊の中で神とともに動くとはどういうことかを学ぶとき、初めて可能となります。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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