2020年3月7日土曜日

【Daily Open Windows】3月7日

三月七日

キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。そしてあなたがたは、キリストにあって、満ち満ちているのです。(コロサイ二・九、十)

愛する友よ、パウロが若い改宗者、成長するキリスト者として成しとげたのと同じ進歩を、あなたと私も達成したいと思うなら、また、パウロが持っていた霊的な印象と影響力の重みに近いものを、私たちも持とうと思えば、そして、パウロが用いられた主の働きにくらべて、例えわずかな程度であっても、やはり自分たちも用いられたいと望むなら、絶対的に欠けてはならないことがひとつあり、これをしっかり、理解しなければなりません。もっとも若いキリスト者たちは、ぜひ、このことを把握すべきであるし、他の人たちも同じです。すなわち、自分の救い、回心やこれに関わることがらを、ただその中だけで捕らえたら、そこに限界が生まれることになります。私たちは、全てのことを、このただ一人の方、神なるイエス・キリストの光の中で見なければなりません!すなわち、これを贈り物として――救いを贈り物として――受けるとき、また、キリスト者としての生活の他の何かを受けるときも、ひとつだけで独立した贈り物として受け取ってはいけません。それの贈り物を見て、言うべきことはこれです、『この贈り物は、与えてくれたお方について、何を教えているのだろう?これは、キリストのことで、何を伝えているのだろう?私の救いの源となるお方について、これは、何を意味しているのだろうか?』理解し難い点かもしれませんが、これは計り知れない大切さを持つことです。なぜなら、キリスト者の生活における前進と、キリスト者の奉仕で用いられる力は、何かを知ったり、理解したり、救いを喜ぶといったことから来るのではなく、イエス様を見ることから生まれるからです!なぜなら、イエス様とは、神の満ち満ちたさまを、全てにいたるまで、その中に集めたお方だからです。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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