2020年3月25日水曜日

【Daily Open Windows】3月25日


三月二十五日

わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。(ヨハネ十五・五)

十字架は語ります、すなわち、この世の秩序は、たとえ、どれだけ宗教的で、正しい動機から生まれ、よい願いから出たものであっても、それが、生まれたままの状態にある人間から発せられたもの(必ずしも、神と対立することであったり、主への反逆を意図していなくても、ありのままの人間の自然の状態から表れたもの)であれば、やはり、その秩序全体は打ち捨てられると、十字架は言います。神は、法に照らし合わせて、このような秩序を裁き、それを禁じました。主イエス様の十字架で、神はこう言い渡しました、『生まれたままの状態にあるあなたがたは、わたしに仕えることはできないし、私の栄光となる実を結ぶこともできない!外に出て行って働き、骨を折ることはできるし、何とか私に仕えようとして、その重圧から死ぬことはあっても、あなた自身のままで、生来の資質によって何かを行う限り、それがわたしのための実を結ぶことはできない。この事実に変わりはない。』神の目的に届き、主のいのち――永遠で神にある天的ないのち――に入ることができるのは、聖霊から生まれ出るものだけです。


この事実が、他のすべてを払いのけます!これはすべてを分析し、詳細に調べあげるものです!私たちが語ることについても、例えば、絶えることなく、こう厳しく問い詰めます、『それは聖霊において話されたことなのか?』自分に、『私は、正しい意図を持っていたのだろうか?主のためと思って、それをやったのだろうか?』と、尋ねるだけでは十分ではなく、こう問わなければなりません、『それは、聖霊の中で語られ、成されたのか、それとも、私自身が行ったのだろうか?』動機や意図がどうだったかという問題ではなく、行ったことがどこから出たのかという問題です。私たちの生活は御霊に支配されなければいけないことを日々、心にとめるべきであり、また、自分の意思から出た何かがあったことに気づいたときは、そのことを神の前に誠実に認めなければなりません。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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