2020年3月29日日曜日

【Daily Open Windows】3月29日

三月二十九日

あなたがたは、手でさわれる山、燃える火・・・に近づいているのではありません。(ヘブル十二・十八、十九)

あの古い摂理から、新しく導入された摂理への変革はなんと壮大なものでしょう。あなたたちの新約聖書には、福音書の中でキリストが導き入れ、使徒たちへと引き継がれた、ただひとつのことが書かれています。そして、このヘブル人への手紙を見ると、この手紙全体の明白な目的とは、ひとつの摂理から、主にある別の摂理への移行です。ああ、もう一度、読んで、このことを褒め称えてください。ヘブル人への手紙をもう一度、読んでみてください。これを誉れとしてください、『これはすごい、私たちは、なんと言うものの中へと導き入れてもらったのだろう。』幕屋でしょうか?そのとおりだと、手紙の著者は言います。かつて、この地上に幕屋が置かれていた時代もありました・・・・それも、この時で終わりとなりました。著者は続けて言います、この古い幕屋はすっかり消え去り、そして私たちは今、手で作られたのではない本物の幕屋へ、神が作られた天国の幕屋へと入ってきたのだと。これはなんとすばらしい移り変わりではないでしょうか!――ひとつの摂理から、別の摂理へと移動したのです。


私は、立ち止まって、尋ねずにはいられません。ここが、キリスト教世界が道を踏み違えたところなのだろうか?

今も、古い神法にしがみついているのだろうか?

今も、布に巻かれて墓の中に横たわっているのか?

今もなお、形式と方法を持ったモーセの律法なのか?

それは、天から来たものへと解き放たれていないのだろうか?!

これこそ、主がここで、私たちとともに成したいと望んでいることです。

多くのことが消え去り、堕落し、また、神の道から外れてしまったので、神は、彼らが道を踏み外したところへ戻ろうとしています。神は、多くの場合、私たちとともにこれを行います。その場合、神はどの地点から開始されるでしょう?それは、世界の基が置かれる前の御子にあります。とこしえの助言の中、御子がすべての始まりとされたところ、神が出発する場所までさかのぼります。人間たちは皆、さまよっています。この歴史のためです、『私たちはみな、羊のようにさまよった。』神は、御自身の始まり、すなわち、御子へと戻られます。キリスト教世界は、道に迷ってしまいました。そして、キリスト教世界を救うただひとつの道は、神が始めたところ、御子の真実で正しい理解へと戻ることです。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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