2020年3月19日木曜日

【Daily Open Windows】3月19日

三月十九日

わたしはあなたに忠告する。・・・目が見えるようになるため、目に塗る目薬を(わたしから)買いなさい。(黙示録三・十八)

自分では見えていると思っているもの全てを、私たちは試し、そして、生活の中でどのような効力を持っているかを知らなければなりません。あなたも私も、自分では霊的な知識と思っているものを大量に抱えているかもしれません。私たちには、多くの教理、多くの真理があります。福音の教理に含まれるものを箱詰めすることはできますが、それが何を生むのでしょう?愛する皆さん、私たちが変えられなければ、それは、真に霊的な意味で見るということではありません。そう、見ることは変えられることであり、変えられることがなければ、それは本当に見えていることにはなりません。そのようなものをすべて剥ぎ取られて、違いを生むほんの小さなものが本当に見える状態まで、真直ぐに導かれたら、その方が、私たちにとってはるかに良いことです。神に対して、本当に真摯に、そう願わなければなりません。


ああ、ごく小さくても百パーセントが効力を持つものを手に入れる方が、九十パーセントが何の役にも立たない知識の山よりも、私たちにとって、ずっとよいことではないでしょうか?私たちが、主にある霊的ないのちより、前に出てしまうことをしないよう、主にお願いしなければなりません。前に出るとは、すなわち、知識、ある種の知識をもって、自分が知っているようなつもりになるということです。私が言いたいことは、お分かりだと思います。真に見ることとは、パウロのことばによれば、変えられることであり、そして、変えられることとは、御霊なる主が見るように、私たちも見るということです。ですから、私たちは見えるようにと祈ります。・・・

これまで、どれだけひどく、また、どれだけ長く、盲目であったとしても、ただ主と真摯に向かい合う気持ちさえあれば、霊的な視力を得るのに遅すぎることはありません。しかし、そのためには、神に対して誠実であるかどうかが問題であることを忘れないでください。主イエス様は、ナタナエルにすばらしいことを言われました。ナタナエルは、二つの意味で盲目となるという危険に瀕していたのです。自分が持っていた先入観を、つい、ことばに出してしまった瞬間、彼は危険地帯のすぐそばにいました。彼は言いました、『ナザレから何の良いものが出るだろう。』これは、先入観というものです。先入観は、男からも女からも、神のより豊かな思いを知る機会を、大いに奪ってきました。偏見は、様々なかたちを取ります。気を付けましょう。・・・あなたも、偏見のせいで危険の中にいるなら、用心してください。偏見を捨て去って、心を開いてください。イスラエル人からヤコブや狡猾さを取り去った者となって、主に心を開いてください。そうすれば、あなたも見えるようになるでしょう。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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