2020年9月11日金曜日

【Daily Open Windows】9月11日

九月十一日

キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。(第二コリント五・十四)

『聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。』(ローマ五・五)これが奉仕を推し進める力でした。さて、これはとても単純なことで、二つのかたちで働きます。全ての活動、働き、そして、主への『奉仕』と呼ばれるものは、このことが背後になければ、実を結ぶ奉仕となる真の力に欠けています。しかし、もし、それがあれば、私たちは必ず主のしもべとなります。主に対する個人的で情熱的な愛の他には、私たちを真の主のしもべとしてくれるものはありません。代わりになるものはないのです。しかし、このことを考えれば、人に聖人という位を与えたり、聖職者として定める意味などありません。心に主へのふさわしい愛があれば、それだけで十分、あなたは主のしもべです。必ずそうなり、必ずうまく行きます。主にとっての私たちの価値を計るものは、主ご自身への心の愛の大きさだけです。それが全てです。そこに難解なものは何もありませんが、試練ではあります。


私たちは、後のエペソの教会のように、たくさんのことを行うかもしれません。この教会では、多くのことがされたのですが、主は言われました、『あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった』(黙示録二・四)。主が言いたかったのは、『あなたの燭台をそこに置いておく理由はなく、ここにあるのはただ、空疎な人の集まり、中に主がおらず、明かりもない外側だけきれいな器に過ぎない』ということです。そして、初めの愛が回復されなければ、それはただ、人間が集まって、いろいろなことをしているにすぎず、私たちの存在を正当化してくれるのは、この愛以外の何物でもないのです。愛だけが、私たちを常に前に進めてくれます。それは何年も忍耐し続けるための力であり、心に主への愛がないまま、キリスト者としての生活を始め、その生活を続けなければならないとしたら、それは忌むべきことです。長い年月にわたる試練の下で、キリスト者の生活を本当に可能にするものは、その愛の他にはありません。この使徒の場合、たくさんの苦しみを味わい、多くの出来事があった中で、彼を前進させたものは、心の中に燃えていた主ご自身への愛であったと私は思います。苦しみの中で、私たちを前へ進めてくれるものは、主への強い愛だけです。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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