2020年9月5日土曜日

【Daily Open Windows】9月5日

九月五日

『見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。』人々は大声で叫びながら、耳をおおい、いっせいにステパノに殺到した。そして彼を町の外に追い出して、石で打ち殺した。(使徒七・五十六~五十八)

キリスト者として生きているあなたと私は、非常に幅広い意味で言えば・・・・妨げる者を代表しており、その在り方のゆえに、私たちは『厄介者』と呼ばれることになります。本当の意味で、私たちは厄介の元と言われても仕方ないのです。問題の矛先が私たちに向けられ、私たちは辛い思いをすることになります。あなたが主を妬んでいるというまさにその事実のゆえに、あなたは、この世の流れ、人の流れと対立する者となります。・・・・もっとも純粋な証しがなされ、そこに、神にあるもの、地と対極にある天、肉的で生まれつきの性質と対極にある霊的な性質が完全に現される時、敵はそのすべてをひっくり返し、ものごとを捻じ曲げて、その責任を霊的、天的な奉仕者に負わせようとします。敵は言います、『お前こそ、すべての問題の原因だ――お前が問題を起こす者だ!』しかし、これは嘘です。問題の元は、それよりずっと深く、違うところにあるのです。


事実、神の現された願い、神の啓示された御心に人が従っていないとき、また、神の目的が隠されているときは、必ず問題を引き起こし、必ず問題の原因ような性質を持つ何かが、そこに存在しています。このような性質を持つものが入り込むとき、問題が起こってくるのです。信じる民に対する神の目的と願いの全てを知ると、そこに払うべき代償が生まれます。それは、いつでも大きな代償です。主イエスは、このことの鮮明な実例、実地教育の例を、盲目に生まれついた男の出来事(ヨハネ九章)の中に示されました。主の意図は疑いなく、この男を、当時のイスラエルとイスラエルの状況の象徴とすることでした。主はこの男の目を開けました――そこで、この男に何が起こったでしょう?『彼らは、彼を外に追い出した。』それだけです。外に追い出した、つまり、彼を排除したのです(三十四節)。これが現実の出来事、まさに、厄介ごとが引き起こされた実例です。

目が開かれて、どのような状況であれ――文字通りの意味でなくても――『見る者』、つまり、目が見える者になったら、あなたは大きな代償を払わなければならず、多くの問題に巻き込まれることになります。この『見る』ということが、そうさせるのです。それが、イスラエルの盲目に対して予見者、エリヤが行ったことでした。この世界で霊的な男、霊的な女でいることには、代償が伴います。天的、かつ、霊的な立場を守ることには代償、そう、非常に大きな代償が伴います。キリストの完全な地位を守ることには代償が伴い、それは、あなたを困難に巻き込みます。光を持つとき――それが本物の光、神が与えた光であれば――そこに代償が生じます。主のいのちを持つとき代償が生じます。しかし、忘れないでください、力が宿るのはまさにここ、この場所であることを。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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