2020年9月30日水曜日

【Daily Open Windows】9月30日

九月三十日

世と世の欲は滅び去ります。しかし、神のみこころを行なう者は、いつまでもながらえます。小さい者たちよ。今は終わりの時です。(第一ヨハネ二・十七、十八)

地上の広い範囲にわたって、神の民は、追い立てられ、散らばされ、身体の外にあるすべて取り去られています。ここで生じる疑問は、なぜ主はそれを許されるのでしょう?主が賢く、全能で、また、恵み深いお方だとしたら、なぜ、このようになるのでしょうか?それは、主の民が、自分にとって、天におられるキリストがどれほど大きな存在であるかを理解し、また、今の自分が、どれだけ地上の様々な秩序、キリスト教の秩序にすら依存していることに気付かせるためです。


『初めからあったもの・・・・小さい者たちよ。今は終わりの時です。・・・・.神のみこころを行なう者は、いつまでもながらえます。』このあいだのつながりが分かりますか?最後のとき、終わりの瞬間が来ても、初めからあったものは、いつまでもとどまりますが、他の何かに変わってしまったものは消えていきます。主との天的な関係を問う前の疑問は、他にはないほど厳しく問いかけるものであり、そこで問われるのは、キリストがすべてを天へと移されたという事実、そして、いつの時代も、主との天的なつながりにあるいのちの他には、この試みに耐えられるものはないという事実です。私たちは、主に、これを取りあげ――それが本当に真実であれば――そして、私たちを探ってくれるように、お願いしたいと思います。私たちの中には、これこそ、主が私たちに対して行っていることだと気づいて、そこに慰めを見いだす者もいるでしょう、なぜ、孤立するのでしょうか?なぜ、試みがあるのでしょうか?なぜ、霊的な生活で孤独を味わうのでしょう?それは、私たちをこの世のものから、キリスト教に関わるものからも、主ご自身へと向けて救い出すことによって、キリストが全てであり、全ての中におられるようにという神の目的が達成されるためです。ものではなく、キリストであり、キリスト教ではなく、キリストであり、キリスト者としての働きではなく、キリストです。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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