2020年9月10日木曜日

【Daily Open Windows】9月10日

九月十日

この奥義は、啓示によって私に知らされたのです。(エペソ三・三)

現在の状況をよく考えるほどに、より深く確信するようになることは、今この時、何よりも必要とされているのは、神の幻を見る人、勇気を持った人であるという事実です。ただし、ここでいう『幻』ということばは、聖書の中に出てくる特別な意味であって、一般的に使う先見の明などのことではありません。すなわち、他の何にもまして必要とされているものとは、御霊によって心の中に神の啓示を受け取って、この摂理の中の神の目的、今、この時において神が特別に重視しているものを示された人です。


人が何を行うべきかということで、多少なりとも一般に受け入れられている考え方の背後には、非常に強い願望と熱意が隠されていて、そこから、何かの行動や『運動』が生まれることがあります。これとは反対に、私たちの目に、もっと大きな必要と映るものとは、今この時、神ご自身にとって大きく差し迫った問題を、『選ばれた器』の心に重荷として負わせ、そこから全てを投げ出すほどの情熱が生まれて、その実現のために全ての代償を引き受けることです。・・・・

今、私たちが生きているこの時代には、本当に、『あの人は神からの啓示を受けている』と言える人はほとんどいません。救われることと、その後で、キリスト教の奉仕に入り、その結果として、聖書を勉強し、説教や講演や授業の準備をし、資料を集め、題目や主題を習得する、など、などといったこと、そして、それを、義務、あるいは、備えられた機会のように与えることのあいだには、非常に大きな違いがあります――このような行動と、開かれた天、油注ぎ、聖霊による啓示とは全く異なるものです。この違いは、何かを獲得するため、また、いつも繰り返し湧き上がってくる要求を満たすための労苦と、キリストを絶えることなく、私たちの中に啓示する御霊の違いです。これは、一般的な違いでありながら、非常に大きなものであり、そこには、束縛と解放の違い、限定と完全の違い、あるいは、働きの中の主なるいのちと死の違いが表されているのかもしれません。しかし、注目すべき点はここではありません。今この時、求められているのは、霊的に高い水準で行われる奉仕全般だけではなく、現在の状況に見合った、特別な啓示を受けた人たちなのです。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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