2020年9月19日土曜日

【Daily Open Windows】9月19日

九月十九日

神の安息にはいった者ならば、神がご自分のわざを終えて休まれたように、自分のわざを終えて休んだはずです。(ヘブル四・十)

キリストは神の安息日です。キリストは私たちの安息日です。信仰によってキリストの義に入るとき、私たちは神の安息に入ります。これは、とてつもない力です。・・・・主は、とても簡単な言葉で言われます、『あなたが、ただ主であるわたしを信じ、わたしが備えるものを信じ、思い煩うことをやめ、憤ることをやめ、心配することをやめるなら、そして、わたしだけを信じるなら、そこに、わたしがあなたの必要をすべて満たすことのできる土台が整えられる。もはやわたしは、土台のないものではなくなる。かつて、わたしには、あなたとともに、また、あなたのために何かを成す土台がなかったが、今、あなたは、キリストという土台、わたしが整えた土台に立っている。あなたがただ、わたしを信じ、ただ、あなたを受け入れるわたしの中で休むなら、この弱さ、大きな憤りと心配から解き放たれる!』思い煩うことによって、心は傷つけられます。体と心に受ける多くの苦しみの裏には、多くの場合、隠されて外に現れない不安、意識の奥底に潜む苛立ち、そして、休息とは異なる何かがあります。それはいろいろなかたちをとって現れます。時に私たちは、主の関心ごとについて、自分がそれをしない限り、実現できないだろうと考えます。自分が、そこに力を注がなければ、すべてが崩れ去る、自分たちに多くのことがかかっていると感じてしまうのです。


このとき、受け身でいるように、また、主の問題への関わり合いをやめるように、求められていると考える人はいないでしょう。しかし、主のことを心には思いながらも、そこに神への信仰がないこともありうるのです。私たちのあまりの弱さ、敗北と不必要な苦しみの裏に隠された秘密があります。こういったものは、神への安らかな信仰とは異なる、隠された何かです。今よりも、ほんの少し、物事を真剣に考えるだけでよい人もいますが、多くの者にとって、問題はおそらく違う種類のものです。彼らは、主のために、神の世界を自分で動かさなければならないと思いこんでいるのです。彼らが、世界を正しく動かす手助けをしなければ、彼らも助けを受けられないと!しかし、安息日を守ること(これを文字通りに、週に一度の儀式の日と捉える人はいないでしょう)、義によってキリストを神の休息と認めること、それを祝い、安息日を守ることは、死に打ち勝つ主のいのちです。なぜなら、それは破られることのない義だからです。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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