2020年9月20日日曜日

【Daily Open Windows】9月20日

九月二十日

十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。(第一コリント一・十八)

これまでの人生で、十字架を受けていますか?これまでの人生で、あなたは墓を受けましたか?もし、まだ受けていなければ、あなたは影の中に生きています。あなたには、一瞬の光が当てられ、手を触れられるかもしれませんが、それは、束の間のものに過ぎず、移ろいゆき、来ては去ってゆきます。これまでの経験、これまで生きてきた人生の中に十字架と墓があれば、御霊は必要なものを持っており、このよみがえりのいのちが、あなたの中にとどまり続けるという祝福が与えられていて、その中でいのちのは価値あるものとされ、また、その価値は次第に大きくなってゆきます。新しい創造とは何でしょう?それによって、まず、新しい意識が生まれます。あなたは、全てのものが新しく、全てのものがそれまでと違っていることを、はっきりと意識します。これは、主に対する新しい意識です。あなたは、それまでは、生きて来なかったものに対して生きているのです。すべての領域で、前と同じものが、完全に違って見えます。なんとかして、同じ生活に戻り、同じ人々と触れ合おうとするのですが、何か新しいものがあります。そこには、新しい意識があります。すべてが、違うものになったのです。・・・


私たちには、新しい意識だけではなく、新しい能力も与えられます。御霊は、生まれたときには誰も持っていなかった能力を与えてくれます。生まれたままの私たちが持つ能力は、非常に限定されたものです。御霊が注がれることによって、私たちには、この世界で誰よりも有能な男と女といえども、御霊なしでは持ちえない能力を与えられることになります。本当に、御霊が内住している神の子供には、他の人は誰も持っていない能力と強さが与えられています。こうして息を吹き込まれることが、強さを運びます。アダムも、息が吹きこまれるまでは、自分に求められることを行う力を全く持っていませんでした。しかし、神の息が吹きこまれて、生きた魂となると、彼は、知る力、行う力、理解する力を持つ者となりました。

このように新しい創造によって、知るため、理解するため、実行するための、それまで持ったことのない新しい能力、新しい力が与えられます。神の子供であれば、どのようなことであれ、決して、自分には『できない』と決めつけて、その状態を受け入れてしまってはいけません。神の御心によって、目の前に示されたことに対して、『私にはできない』と言ってはいけません。御霊の存在が意味するものは、それまでには、できなかった何かをやり遂げる能力と力です。私たちは、このように主を明らかにしてゆくべきです。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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