2020年9月24日木曜日

【Daily Open Windows】9月24日

九月二十四日

見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。(使徒七・五十六)

ステパノが持つ大きな特徴のひとつ、その中でも、おそらく何よりも大切な重要性は、彼が人生の最後の瞬間に見て、最後の一呼吸とともに吐き出したこのことばにあります、『ああ、天が開けて、人の子が神の右に立っておいでになるのが見える』(使徒七・五十六)。ここには、新約聖書から生まれる真のキリスト信仰、そして、主の教会と世の多くの教会――神の右に立っておられるキリスト――についての、中心的で基本的な現実があります。統治、権威、指揮権は天に昇った主に委ねられており、エルサレムでも、地上のどの場所でもなく、天を中心としています。・・・・ユダヤ人の支配者たちとステパノの告発者たちが、このことばに込められた事実を直ちに、また、鋭敏に理解したのは、彼らにとって、『手で造った聖所』がもう終わったこと、すなわち、律法に基づく摂理が終わりを迎えたという事実よりも大きなことはなく、その他に大きなこともなかったからです。イエス様の教会に向かって、宮、そして、宮に付随するあらゆるものを離れ、より大きく、より豊かな不変の現実に入るようにという暗黙の呼びかけがありました。


悲劇的なのは、『ヘブル』(人への手紙)を手にしながらも、主の教会の責任を負った指導者たちの中に、旧約聖書から言い回しを少し変えた拡張や継承に過ぎない制度と形式に固執する者たちがいることです。ふたつのあいだの違いと隔たりの途方もない大きさを、明確に把握していないのです。聖書の全体の中でも非常に恐ろしいと思えることが、この手紙の中にあり、その箇所ではこの危険、そして、二つに分かれた道と世界について書かれています。そこで語られているのは、主のいのちと死という問題にも劣らないものです。その全ては、主の教会と世の多くの教会の真の性質について、非常に多くのことを語りかけています。目のあるものは見なさい!

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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