2020年9月23日水曜日

【Daily Open Windows】9月23日

九月二十三日

都には、これを照らす太陽も月もいらない。というのは、神の栄光が都を照らし、小羊が都のあかりだからである。(黙示録二十一・二十三)

光とは、頭の中のものではありません。すなわち、それはただ、頭の知識をためておく場所を持つと言うことではありません。それは、光とは言いません。あふれるほどの学識や真理を持ちながら、どこにも輝くところがない、つまり、暗闇に対抗する強さを持っていないこともあります。本当の光とは、実体験から来るものです。すなわち、それは、経験、苦しみという経験から生まれる実です。神の子供であるあなたたちは、主についての知識を、どのようにして、知るようになったのでしょう?それは、主についての本当の知識であり、私たちにとって何よりも貴重なもので、大きな意味があり、あなたを他の人たちにとって大きな価値を持つ者としてくれる知識です。それは、苦しみを通して、主があなたを導かれた困難な道を通して、主があなたの中で働かれた十字架のみわざを通してです。『小羊があかりです』――知識へ、光へ、理解へと導く苦しみです。その他に道はありません。


この人々は、いずれは、偉大で驚くべき啓示という恵みの中に住むことになります。それは、苦しみの中にいるキリストとの交わりによってもたらされたものです。これは、まさしく真実です。ある点から見れば、それは、あまり慰めになるものではないかもしれませんが、本当のことです。そして、私たちが次のことを理解する助けとなるはずです。すなわち、私たちを成長させようとする中、私たちの上に起こさせる苦しみの中で、主は、私たちを本当に教育したいと願い、また、この道を通らなければ決して得られない主ご自身の知識、非常に大きな価値を持つ特別な知識を、私たちに与え、また、私たちを通して他の人たち与えたいと願っています。この他に、この知識を学ぶ道はありません。その道とは子羊であり、常に子羊の原理、苦しみと犠牲を受け、自分を無にするという道だけが、私たちを主の知識へと導きます。『小羊が都のあかり』なのであり、そして、死が深いほどより豊かないのちに通じるように、暗闇が深いほど、それだけ、豊かな光につながることが多いものです。

主は、生まれたままの人間の思いでは、とても理解できないかたちで、私たちを導いているように思えます。主は、私たちをあらゆる面で、生まれつきの能力では及ばないところ、ご自身が取られる道をとても理解できないところへと連れてゆきます。主が何かをされていることが分からなかったり、あるいは、主がなぜ、そうされるのか、理解できないこともありますが、それでも、このような道によって、私たちは、主ご自身について本物の内なる知識に至るのです。それを言葉では説明できなくても、私たちは知っています。それぞれの道を通って、知っているのであり、このことは、何よりも力強い知識の大いなる力です。それは、十字架を通ってくる光です。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

0 件のコメント: