2020年9月3日木曜日

【Daily Open Windows】9月3日

九月三日

神は、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、すべての支配、権威、権力、主権の上に高く置かれ、・・・・(私たちを)キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。(エペソ一・二十―二十一、二・六)

ここに啓示されていることを、御霊によってあなたの心に受け止め、この事実が人を解き放つ力、人に続けさせる力を知ってください。この事実は今、このとき、心へと啓示されるものです。主は、このことを、何度も繰り返して、私たちの心に啓示しようと、長い間、務めてきました。大切な点はここです。私たちがあるべき姿がこうして示されたわけですが、あなたと私は、それを理解するだけの霊的な受容力を、主に求めなければいけません。それが、引用した手紙の別の一節へとつながって行きます、『神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。あなたがたの心の目がはっきり見えるようになりますように・・・・。』あなたがたの心の目がはっきり見えるようになるように!これが、幻の中に示されたもうひとつの姿です。


あなたは、自分のためにこのように祈りますか?あなたは、すべての神の民のためにこのように祈りますか?聖霊による霊的な啓示を新たに受けて、キリストが絶対的な主権者であることを知り、このかしらを固く守り始めるとき、主の民は、自分の周辺だけにあるもの、個人的なもの、異なったもの、地上に無為に散らばった全てのものを投げ捨てます。そこは、私たちが一致を求めて集まる場所です。キリストが人生における唯一絶対のかしらであるなら、私たちは、主の子供たちとして、お互いと不和のままでいることはできません。主イエス様が、私たちの人生のかしらとして、完全な支配を握るとき、自分だけの行動と生活、あらゆる自分の思い、自己主導、自己探求、自画自賛、そして、自己弁護は消えてゆきます。私たちをお互いから引き離すのは、こういったことがらです。イザヤ書を読み終えて閉じた後も、この男、イザヤの中に示された幻が自分をも変えたことを覚えているでしょう。その幻には人を、瞬時に塵にまで貶める力があります。そう、栄光あふれる主を見たら、その時、私たちの自尊心、存在価値は全て消え去ります。『私はもうだめだ。・・・』こうして、屈辱にまみれるのです!屈辱の後には、聖化があります、『見よ。これがあなたのくちびるに触れたので、あなたの不義は取り去られ、あなたの罪も贖われた。』そして、屈辱と聖化の後には、働きへと召されます、『だれが、われわれのために行くだろう・・・』主の声を聞いたので言った、『ここに、私がおります。私を遣わしてください。』

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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