2020年9月21日月曜日

【Daily Open Windows】9月21日

九月二十一日

こういうわけで、もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが、神の右に座を占めておられます。(コロサイ三・一)

私たちの祈りの生活は、天に根ざしたものでなければなりません。地上の生活のことを祈っているだけでは不十分です。朝、起き上がって、手早く短い言葉を口に出し、主に自分たちと周りの人々、一日の暮らしに対する祝福を求め、それが生活のすべてであるかのようにお願いするのは、実に簡単なことです。これではいけません!主は、天的なこと、霊的なこと、一時的ではなく永遠なるものふれる祈りだけを受け入れます。すなわち、この世のものでなく、主の永遠で天的な御心につながっていく祈りです。主は、私たちを一時的なものから切り離そうとされます。主の御前には、この世の一時的なものを持っていく場所がありますが、それは、天とのかかわりの中で取り上げなければならず、それだけ独立して解決すべきものではありません。血はすべてを天的なものに変え、古い創造から切り離します。私たちの祈りの非常に大きな部分を古い創造が占めています。それは、自分の都合、不自由さや不快感からの解放、大きな災いと悲しみの元となるものからの救済のための祈りです。このようなものがあると、私たちは進んで多くの祈りを捧げるようになります。『主よ、今日は何も起こらないようにお願いします。今日の生活の中で辛い思いをしなくてすむように!』


しかし、主が悲しみを通して、まったく新しいものへと、私たちを引き上げようとしているとしてもなお、同じように祈るのでしょうか?いいえ、私たちの祈りは、こうでなければなりません、『主よ、私は今日、霊的な価値においてもっとも大切なものを求めます。そして、試練と逆境しかそれを得る道がないのなら、私はそこから解放してくださいとは祈りません。』私は言います、『主よ、私を前に進めてくれる力があり、日々、試練があっても、私は祈りを通して、その意味を探り、試練を切り抜ける力に近づきます。』これが天的な祈りです。心を天に置いた祈りです。『もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが、神の右に座を占めておられます。あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。あなたがたはすでに死んでおり、あなたがたのいのちは、キリストとともに、神のうちに隠されてあるからです。』(コロサイ三・一~三)。『私たちの国籍は天にあります。』こうして、信じる者の生活は、いつも、天の利益を念頭に置いたものとなってゆき、私たちの祈りの生活は、その天の利益とつながっています。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

0 件のコメント: