2020年9月9日水曜日

【Daily Open Windows】9月9日

九月九日

愛情とあわれみがあるなら、私の喜びが満たされるように、あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしてください。(ピリピ二・一~二)

思い違い、間違った教え、異説などは、悪魔が、『イエスの証し』を破壊するためにもっともよく用いる手段でしたが、『モダニズム』、または、『高等批評』と呼ばれる武器を手に入れたとき、この悪魔は、いわば、二連発の銃を使い始めたのです。ひとつの銃創は、キリストの人格、キリストの働き、そして、聖書の権威という本質的な真実に照準を当てました。悪魔はこうして、大きな混乱を引き起こしたわけですが、悪魔の二つ目の銃創、一つ目とつながっている銃創がもたらす損傷は、それと同じ程度で済むだろうかと、人は不安に思っています。この二つ目の銃創から、悪魔は湧き上がる雲のように巨大な疑い、恐怖、不信感、不安、そして、真のキリスト者を動揺させる様々な心の動きをまき散らしたのです。


今日、この『キリスト者』の世界と空気の中で、完全に安全な人など一人もいません。非常に特殊な古来の福音主義を信奉する人たちの中には、その恐ろしい毒気にあてられ、そのために心砕かれたまま死んでしまった者もいます――全てが、あまりに不実なのです。敵は、最後の二人のキリスト者を引き裂くまで、決して止まろうとしません。そして、この敵は、疑いと不信感――『悪い評判』――を広げても思いどおりにできないと分かれば、今度は、使えるものは何でも使い、真実を捻じ曲げて、攻撃する手段を作りあげます。・・・・

この一文を目に留めてくださる全ての人に、ぜひお願いします。必要ならば、ここで書いたことについて、自分の考え方を完全に切り替えられるよう、主に願ってください。主の御霊は、『あなたがたのうちで罪のない者が、最初に石を投げなさい』、また、『あなたがたに反対しない者は、あなたがたの味方です』と言われましたが、この御心に即した態度とは、なにかの『評判』、『うわさ』、批判、断罪、当てこすり、皮肉、また、ささやきのひとつひとつに対して、即座に、『それは本当ですか?その話し手――または、書き手――が伝えたかったことは本当にそれでしょうか?本当は他の意味があったのではありませんか?適切な言葉で、本心を語ることができなくても――おそらく――そこに悪意はなかったのではありませんか?』と切り返すことではないでしょうか?私たちは、完全に決めつける前に、自分の判断が正しいものであるか、どこかで間違えていないか、確かめるべきではないでしょうか。敵は、教会を中から分解させようと、今まで以上に、内部での妨害工作に手を尽くしており、私たちもこの敵に抵抗するために、現実においても、また、心の中でも、建設的な交わりの場をできる限り求め、悪い面ばかりを探すことはやめなければなりません。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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