2020年9月14日月曜日

【Daily Open Windows】9月14日

九月十四日

この世を去って父のみもとに行くべき自分の時が来たことを知られたので、世にいる自分のものを愛されたイエスは、その愛を残るところなく示された。(ヨハネ十三・一)

イエス・キリストのしもべによる働きも、深く強い愛が根底に宿っていなければ、勝利につながるものとはなり得ません。・・・・愛は、私たちの問題を解決し、私たちを勝利へと導くものですが、十分な愛がなければ、人間の本質的な問題、気質と人格のあまりに大きな違い、そうして、人を党派に分けてしまうもの、そして、絶え間ない流出と苦しみ、こういったものが、敵から来るあらゆる重圧と相まって、問題、当惑、何もできなくなるほどの課題を作り出します。・


不思議に思うかもしれません、『主はどうやって弟子たちとの関係を続けることができたのだろう?』と。弟子たちは、あまりに、扱い難く、あまりに違っていて、失望ばかりさせていました。『自分のものを愛されたイエスは、その愛を残るところなく示された。』これが答えです。愛が、この弟子たちのすがたを乗り越えたのです。愛が特別なものを与えたので、主は、弟子たちにあきれて、見捨ててしまうことがなかったのです。このように、私たちの人との関係において、真のしもべとしての精神は、深い愛があって、初めて可能となるものです。主に仕え、主のために働きたいという気持ちを持っているすべての人たちに、次のことをよく考えるようにお願いします。すなわち、主の働きとは、あなたが外に向けて、また、客観的に手を染める何かではありません。それは(その気持ちが本物であれば)、主に対する愛、そして、主の愛の対象であるものたちのための愛の働きなのです。

とても単純でありながら、これこそ全ての中核に迫ることです。遅かれ早かれ、あなたも私も、自問せざるをえない心持ちになるでしょう。すなわち、私たちは、前に進むために十分な愛を持っているだろうか?私たちの心の中には、今のこの格別に困難な状況を乗り切るのに、十分な愛があるだろうか?今のこの状況を作り出しているものが、私たちを召使い、奴隷へと変えてゆきます。ただ人に認められ、尊ばれ、また、敬意を払ってもらっていたら、これほど、深刻なことにはなっていなかったでしょう。しかし、私たちに期待がかけられ、過度に大きな寛大さや親切心が求められ、忍耐し、個人的な感情を捨てることがいつも要求されるような状況が生まれるとき、また、この危機の主要な問題が自分の思い――私にはあまりにも多くのことが課されている、多くが期待されすぎている、私はしもべのように扱われている――このような思いでいるとき、私たちの姿が現れてしまいます。この奉仕を支えることができるのは愛だけです。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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